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【タイーバンコク】7,海外旅行を始めたワケ-帰国前にバンコク散策へ町へ(備忘録)その7

初の海外旅行バンコクへ【7】May. 02, 2013~May. 06, 2013

The Continent Bangkok by Compass Hospitality

朝、強い雨が降っている。タイに来て初めての雨模様となった。

チェックアウトしてバンコク新市街へ

 今日は帰国までのカウントダウン、とうとう最終日になった。充実していたような、日々ちょっとした緊張感のなかで過ごして来たような気がする。大きな雨雲がかかりだしあっという間に、大雨になっている。

どれ位続くのだろうか、見当もつかない。いくつかの予定を立て直すのにMacBook Airは、ホテルWi-Fiにつなぎっぱなしである。

最初の予定は、朝9時30分にはチェックアウトして、手荷物をフロントに夕方の17時30分まで預かってもらう事にする。

雨が降っていなければ、サイアム地区の路面店を含めて散策をして、ジムトンプソンの家(博物館)に行って、アソーク駅に戻る。

近くにあるキング&アイというフットマッサージ(先日行って疲れがスーっととれた)と同じく近くにあるベンジャロン焼きサイアム・セラミック・ハンドメイドに寄って、ホテルに再びもどり手荷物を受け取って空港へ、と予定していた。

それが、天候が不安定となると徒歩で歩くのに支障がある場所がいくつかありそうだ。

二案として、サイアムセンター、サイアムディスカバリーからMBK(マーブンクロン)の4階携帯街をうろつく。バンコク・アート&カルチャーセンターでタイの若い芸術家の作品や商品をみて歩く。ほとんど建物内を移動するプランを組み立てた。

この急遽決めた案を今度はGooleカレンダーに、打ち込んでiPhoneと同期しておく。同時にカレンダーを共有している相方のiPhoneにも追加する。

当時、グローバルWiFiか「イモトのWiFi」か迷ったのだが、空港に着いてすぐにiPhoneが繋がってくれたことに感謝した。

ルーターのスイッチを入れて、通信をスマホ側でWi-Fiを選んでパスワードを入れるだけの簡便さは、現在SIMフリーの端末を海外で使うときSIMを購入したり設定したりするより楽だった。

当時は、iPhoneがSIMフリーではなかったため、レンタルWi-Fiのサービスが役に立った。MacBook Airをフル活用していた時だったので、各施設毎のFreeWi-Fiサービスに接続することなくスムーズだった記憶がある。

当時、日本にいるよりもFreeのWi-Fiサービスは、バンコクの方が充実していた。

建物内はほぼフリーWi-Fiが使えたので困ることはなかったが、屋外の移動などでは事前に国内の空港で受け取る海外WiFiレンタルのモバイルルーターが役に立った。

BTSを降りると雨は小粒に

雨の様子を見ていたら、結局ホテルを11時過ぎにチェックアウトすることになった。

ホテルを出た途端、急に雨脚が速くなった。アソーク駅に続く歩道橋まではすぐなので傘を差しながらも小走りになった。

歩道橋の屋根のつなぎ目から、雨漏り(といっても滝のようにジャージャーと)をしている。日曜日なのか、BTSの車内は家族連れが多かった。

しかし、雨のせいなのか時間帯なのかあまり混雑しているようには見えなかった。

しばらく、建物内にいたのだが完全に晴れわたっている。

今までの天気が信じられない。

バンコクのこのサイアムセンターのこの場所は、数年経った現在でも安心感がある!

Siam Center

晴れ男でした。一瞬にして気温がグングンあがります(^_^;)

晴れたので、どこへ行くのもスムーズ。懸念していた大雨の立ち往生のかけらもなくなった。そう言えば、5月は雨季に入り始めているから、今までまったく雨に当たらないのもラッキーなんだと思う。

また、このときの経験が、東南アジアに旅行の時はスコールの時止むのを待つという知恵がついたきっかけでもある。

バンコクの若いデザイナーの作品に触れたバンコク・アート&カルチャーセンターへ

Bangkok Art and Culture Center

色々な作品が雑貨商品として販売されていて楽しい。その中でも、リサイクルをテーマにした雑貨商品を企画販売しているブースは見ていて発想が面白く刺激を受けた。

Recycle Big

日本のチラシなどの印刷物をシュレダーした紙をパッキン?にしたリサイクルバック。

こんな発想の鉛筆もあった。雨模様でなかったら予定していなかった場所だったので、大きな刺激を受けた。

Recyele Pancil

館内は、このような販売のほか、ギャラリーや展示会も開催されていて見応えがあった。図書館もあり静かな雰囲気で冷房が入っていてとても過ごしやすかった。

ジムトンプソンの家(博物館)へ

バンコク・アート&カルチャーセンターから外に出る。時間をみると、太陽がちょうど真上に上がっている13時40分である。

GoogleMapsを見ると徒歩だけでジムトンプソンの博物館へ10分程度とわかる。

BTSサイアム駅からナショナルスタジアム駅(サナームキラーヘンチャート駅)までは、直線でたいした距離ではないことがわかる。

晴れていれば、目的地にもよるがサイアム(Siam)駅で降りてしまう方が、利便性がいいとメモに残した。

事実、急ぎ足で歩いたわけではないが10分かからないで到着した。

特徴的な朱茶色のジムトンプソン博物館に到着。この細い通りは、高級住宅街なのか治安が非常によいように見えます。

Jim Tompson's house

博物館の入場料は1人100THBで、どこの国から来たか聞かれるようだったが相方が支払うときすでに日本人と決めつけられていた。(アジア圏の人は日本以外でも多かったようだったのに・・・)

色々な国の人達が入場券をもとめて並ぶ

入口で日本語の案内があるというので、14:10迄、所定の場所で待つように言われる。日本人が何人か来るまで待たされるようだ。

Jim Tompson's house japanese

ジムトンプソンの家は、日本語の案内があるのでわかりやすい。(写真の数字は、テストの点数ではありません!)

各国の言葉で案内していくので、ところどころで言語が重なりあっている。このような環境にいるとこんな小さな空間にいるのに、世界は広いと思えてくる。

ガイドさんは、聞きやすい日本語でわかりやすかった。

Jim Tompson's house Tour Guide

ジムトンプソンの家の立地として、セン・セーブ運河があったことが大きい。交易事業がやりやすかったのだと思う。アユタヤもそうだがタイの経済には水路があったように思える。

45分ほどのガイドが終わり館内をでると、ちょうどタイの民族舞踊がはじまっていた。

Jim Tompson's house dance

かなりお腹が空いていたことに気づく。MBKのフードコートに戻ってもそんなに時間がかからないと思いながらも。そこでまたメニューに迷ってしまいそうだ。そう察した相方は、

「ここで、食べていこう。探すの面倒だし・・・」

すぐに、決まったのはいうまでもない。早々にレストランに入ると適度に聞いた冷房が心地良かった。

博物館の併設されているレストラン。

 The Thai Silk Co.,Ltd

食事が終わると、向かえの建物にあるショップへいくことに。

昨日アウトレットで購入した事を考えると人の多さにビックリ!。品揃えは格段にこちらの方が多いが、同じモノがないので比較はできないが価格は、明らかに違いがあった。

ジムトンプソンの功績と未だに解明されない失踪の間に

ただ忘れてならないのは、タイのシルク加工という産業を残したジムトンプソンは、1967年3月マレーシアのキャメロンハイランドにある別荘のムーンライト・コテージから失踪以来、いまだに行方がわからないことである。

それを題材に、松本清張が推理する「熱い絹」が書かれている。時代背景は、ベトナム戦争と中国やマレーシアの関係をも考えさせる。

上下巻に分かれた大作で清張らしい展開で読み応えがあります。

マレーシアに行くことがあれば、キャメロンハイランドの地を訪ねて見たくなる書籍である。

キャメロンハイランドには、2017年の8月、マレーシアのツアーを見ていたら珍しく阪急交通社でクアラルンプールから現地へ行くというので参加することに。

その時の様子は、マレーシア北へ南へ2000kmの旅へ」の旅行記にした。

【マレーシア】6,イポーへ続く道は新道ができて便利に-熱い絹のロケーション、高原全体が密室?でなくなっていた
マレーシア北へ南へ2000kmの旅へ【6】Aug. 11, 2017~Aug. 16, 2017 朝集合時間、ツアーで知り合った人達は、口を揃えて「寒かった・・・」と言っていた。 北海道人が集まったツアーなので、寒さには強いはずなのだが、意...

このジムトンプソンの家を離れたのは16時過ぎだろうか、ベンジャロン焼きのサイアム・セラミック・ハンドメイドにはギリギリ間に合うような気がする。

サイアム周辺でもベンジャロン焼きを色々見てまわったが、あとひとつ気に入るモノがなかったようで、アソークにある本店は、相方念願の場所。

サイアム・セラミック・ハンドメイド本店へ

待望のサイアム・セラミック・ハンドメイドのベンジャロン焼き。

Banjaron

すぐ近くに、フットマッサージを先日した「キング&アイ」があるので、寄ってみるがさすがに、予約で埋まっていた。

ホテルに戻りチェックアウトで預けた手荷物を受取り、空港へ向かう。

「タクシーが必要か?」とホテルのボーイに聞かれたが、BTSとエアポートレイルリンクで行くと言ったら、ニコって笑ってワイのポーズ。

この挨拶も最後かなと思いながら乗り継いで空港へ。

 

空港に到着、流れ作業を機械的に出国審査をこなしていたが・・・

エアポートレイルリンクのスワンナプーム駅は地下1階、出発フロアの4階まで、エスカレータでグルグルと駆け上る。チェックインカウンターはすでに受け付けを開始していた。

入国の時にパスポートにはさんで渡された出国カードを用意して出国審査を受けた。

制限エリア内に入るとよくタイのガイドブックなどでみた大きなオブジェが目に入った(天地創造の神話の出てくる乳海攪拌)。

スワンナプーム国際空港の巨大なスペースなら、このオブジェを起点に考えれば迷わないと勝手に想像する。(ここから向かって左にD・C・A・B・Aとフロアが遠くなり、右へE・F・Gと奥まっていく。)

Suvarnabhumi

制限エリア内に入るまでは、規定通りの流れて出国手続きを行っていた緊張感が、フト途切れた。初めての海外旅行なのにちょっとだけ安堵感があったのだ。

もう帰国なのかと、この制限エリアに入って思う余裕が出てきた。

印象は短かったと振り返る。初めての海外旅行の一歩を踏み出した。

ここで、空港内のフリーWi-FiにつなげてiPhoneで検索してる。

「次はカンボジアの世界遺産アンコールワットへ行きたいな」と思いながらルート検索をしている自分である。

このタイのバンコク旅行で、海外旅行の熱が上昇してしまった。

帰国便テイクオフ・・・さよならタイ国

タイ時間21時45分、一度羽田へ向けて離陸した。到着時間は日本時間の朝6:00。今日は天気がいいらしく富士山が雲の上に見えるようだ。

窓側の座席にいる客は、一斉にカメラや携帯(このときはまだ、携帯の人が多かった)のシャッターを切っていた。

Mt.Fuji

機内の窓から富士山が見えていた。

日本に帰ってきたという実感がわいた瞬間、まもなく羽田に離陸する。

羽田には、遅れもなく到着。

あとは、札幌に乗り継ぐだけである。ここでひとつ問題が・・・。

地方便乗継ぎで羽田を経由する場合、必ず手荷物を受取ります。

手荷物である。タイでは、新千歳までのバッゲージスルーとなっていた。ところが、そうでは無かった。羽田では必ず一度手荷物を受け取る必要がある。(インドネシアのジョグジョグジャカルタの時もちょっとおかしいと思いながら・・・バッゲージスルーと言われた・・・これも間違い)

 

とにかく、羽田を経由して地方便に乗るときは、手荷物を羽田で受け取るとインプットした。しかし、そのあとも、海外からの帰国便は、新千歳までという手続きをしてしまう事があるのも事実である。(バッゲージスルーでタグをつけられたら、今後拒否することにする)

国際線から羽田到着ー地方便へ乗り継ぎの場合=羽田で手荷物受け取りが必要。

と言っても、無事に羽田9:30発に乗り込み11:00に新千歳に到着したのである。

大きな連休が無いとなかなか海外旅行に今でもいけないが、これが初めての海外である。最近では、平日の日に旅行プランを実行できたらと思い描く。

そんななか、時間の制約と料金の高騰する連休が時間の制約と料金の高騰しても、知恵を絞り考えぬいたプランで海外渡航するのも、また楽しいと最近思えてきた。

海外旅行、最初の一歩

海外旅行、最初の一歩の記録、いやいや記憶である。いい思い出が多かったので、それからは徐々に国内旅行よりも海外への計画が多くなって行いったと思う。本音を言うとGW中に国内旅行と海外旅行を比較したときに、ほとんどの場合、海外の現地のレートにもよるが、安価な費用で海外の旅ができることに気づいてしまった。

2017年は、どこに行こうかとプランがわいてくる。GWは?お盆を使って!来年の年末年始!計画を立てても予算オーバーで振り出しに戻って、もう一度・・・。

結局、旅行予約は、慣れていてホテルのレビューと連動している【Expedia Japan】を最終的に使うことが多いかな。

トランジットで、目的地以外の宿泊しながらとかならいろいろ検索するけど「エクスペディア」が一番多いです。

帰国して暫くすると驚きました。イモトのwifiのクレジット顧客情報漏洩ですでに決済済みの料金を現金振り込みでとのこと。
大きな話題になっていてビックリしました。国際的な場面で使うことなので、セキュリティが甘いのは気になります。

海外旅行を始める上で、初めて洗礼を受けた気がします。その後、SIMロックフリーにして現地のSIMカードを使うようになりますが、この当時、建物のフリーWi-Fiを使うことを前提にしていましたが、徐々にモバイル通信以外はスマホに繋げないように変わっていきます。

海外に行っても、国内と同様な通信に気を遣うきっかけとなった旅でした。

 

この失踪事件に興味を持ってしまったため、いつかマレーシアのキャメロンハイランド行きを夢見るようになった。
「ジム・トンプソン 失踪の謎」も「熱い絹」もノンフィクションかフィクションの違いがあるが、ともに推理していく考察力に引き込まれていく。

色々な推理を読んでいくと犯人は「誰もいなくなった」とい展開です。最初にキャメロンハイランドのムーンライトコテージに集まった人達、複数犯と思えてきます。現在とは違いキャメロンハイランドの道は密室といったロケーションでいたから。

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