世界遺産富岡製糸場とわたらせ渓谷鐵道の旅【4】Jul 13, 2019~Jul 15, 2019
海街diaryのロケ地になった足尾駅
海街diaryは、吉田秋生先生が描いた「漫画」です。全9巻で第3巻目がそれからの姉妹の人生が大きく動いていく。その映画化の時、異母妹の浅野すず(広瀬すず)が住んでいた場所として登場した駅です。
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原作を読むと映画になかったストーリーが・・・。
足尾駅を出て古河掛水倶楽部を目指すと一番最初に目に入るのがフェンスに囲まれた赤レンガの建物です。
古河掛水倶楽部は、土・日・祝日のみ営業しているので行ってみます。
渡良瀬橋といっても森高千里の歌の橋ではありません
少し雨が小降りのうちに、この先にある渡良瀬橋(足利市にある森高千里の楽曲の橋「渡良瀬橋」ではありません。)を見てきます。ともに渡良瀬川に架かっています。
今はこの渡良瀬橋は歩行者と自転車など専用の橋となっていて、隣に「新渡良瀬橋」として自動車があります。
渡良瀬川発祥の地の看板があります。
渡良瀬橋からの渡良瀬川を見るとその渓谷と呼ばれる理由がわかるようなきがします。
渡良瀬橋を渡り切ると、馬頭尊の石碑が建っています。
説明によると明治26年に下間藤に建てられ、大正10年頃ここに移した。盛時には足尾に300頭以上の馬がいて、銅山の物質運搬に活躍した。日光市
ちょうど雨が上がっています。古河掛水倶楽部まで戻り受付を済ませます。
古河掛水倶楽部は洋風・和風のアンティーク
古河掛水倶楽部の迎賓館の中に見学順路に従い中に入ります。
室内の資料などの展示品や調度品などは撮影が不可となっていました。
モダンなファニチャーに心がひかれます。
二階から庭を見ると建築様式にも目が奪われます。
食堂として使われていたスペースでは、お土産やコーヒーが飲む事ができます。
早速、コーヒーを頼んで休憩します。蒸し暑いのでアイスとホット、どちらにするか悩んだ末相方とともに、ホットにしました。
あまりゆっくりもしていられません。次の間藤駅に乗車するには14:41分発が足尾駅です。一度外へ出て「鉱石資料館」や「掛水重役役宅」などを見てまわることにします。
鉱石資料館をのぞいてみます。
面白い物を発見しました。防空壕だったようです。
防空壕と言うからには、コンクリートでできていて頑丈な作りです。
防空壕というより秘密の地下通路という感じでした。
タイムトンネルのようにも思えてきました。
どんな場所に出るかというと・・・。
矢印「→」に従って順路を進みます。
庭側から見ると、先ほどまでいた「古河掛水倶楽部」の豪華さが強く印象づけます。
重役クラスの所長宅となっていました。
突然、また雨が強くなってきました。同時に発車の時刻が気になります。そろそろ足尾駅にもどります。
今回の旅の目標の一つ「間藤駅」へ到着。
風情のある駅でした。
駅舎の中は至ってシンプルです。間藤方面は、私達だけかもしれません。
乗車ホームは、踏切を渡った向こう側です。そろそろ時間なので先に渡って待つことにします。
数分の違いで雨の強さが変わってきます。間藤駅に到着するとまったく雨は上がっていました。気候がまったく違うように路面も乾いています。
駅舎の中には、宮脇 俊三氏の「時刻表2万キロ」のなかで、第13章にこの旧JR線の足尾線を取り上げて – 最後の一線としている。
その追悼列車が走ったという記事があった。
その紀行文の一説に
『通洞から二分で足尾に着く。古い駅舎の黒く丸く手擦(ず)れた改札口の脇に「海抜六四〇米」と書かれた板がさがっている。
つぎが間藤、いよいよ最後の最後となった。・・・』
この写真に写っている、登山届けの上にかかる板は当時のものなのか?海抜のついては、明治24年(1891年)に「日本水準原点(神奈川県三浦市三崎にある油壺験潮場)」できて標高は24.5000mは、大正12年(1923年)の関東大震災により24.4140mに変更されています。
この紀行文の「海抜六四〇米」は、当時の海抜の算出方法で、その後に、記憶に新しい東北地方太平洋沖地震により、標高は24.3900mになっていて各地の水準点を計っています。この結果により、たとえば山の山頂の標高も変わるので、この「海抜六三六メートル」と記されているのだと思います。
それでも、この標高表示板は著者「宮脇俊三」氏が当時見たものと同じならロマンを感じます。
現代まで、鉄道遺産として残っていつ物は少なくなっていますが、そんな鉄道紀行を全集として残しているのは貴重な書籍だろうと思います。kindle版なら重くならず旅にもっていってもいいですね。
間藤駅では、折り返しの便にのるなら、24分の待ち時間がある。テクテクと歩いて周辺を楽しみながら何かをするにはちょっと短いし、ただ待っているには長い微妙な時間。折り返し戻る時間を30分ほど遅らせることも考えたけど、合計約1時間を有効に使う方法が見つからない。
強いていくなら「足尾精錬所」と「古河橋」を見て戻って来るくらいか?
持ってきた資料をみても判断に迷ってしまう。と言うことで、時間をたっぷりと駅で過ごせそうな「水沼駅」で駅内にある温泉センターに決めた。
途中駅で切り離しがあるようなので、水沼駅方面は「前方車両」へ乗車するようだった。
水沼駅温泉センター「せせらぎの湯」で、まったりとした時間
河童像の由来
この温泉センターのある付近から渡良瀬川の上流約200メートルのところに、釜が渕と呼ぶ渕があります。昔、この地方では家に人寄せして振る舞うとき会席膳を使用する風習がありましたが、貧しい家ではこの膳椀が買えませんでした。
ある時、正直者の村人が思案にくれて釜が渕を眺めていると、突然河童が出てきて、この村人の欲しい数だけ膳椀を出してくれました。そのおかげでこの村人は、無事に人寄せを済ますことができ、使った後、河童にお礼を言ってすぐに返しました。
この話を聞いた村人たちもこの渕に来て膳椀を借りるようになり、多くの人が便利をしましたがあるとき、欲張りの不心得者が膳椀を借りたまま返さなかったそうです。それから後、この渕から膳椀はでてこなくなったという伝説があります。(地方によっては、河童膏薬伝説などがあります。)
往古かた、河童像にお湯をかけ願をかかると、家内安全、水難防災、縁結び、暗算のほか、とくに足腰の病気にご加護があるといえあれております。河童の顔にたっぷりお湯をかけ、大願成就を祈念してください。平成3年3月吉日 建立
デザイン 漫画家 牧野圭一先生
制 作 マキノプロダクション
ここでは、入館(浴)料の600円がフリーきっぷを提示すると20%OFFになります。また、クルマで来た場合などはJAFの会員証の提示でも同じ割引になります。
二名分の「わたらせ渓谷鐵道一日フリーきっぷ」を提示しています。ついでに、温泉用に何も持ってきていないので、タオルを記念に購入しました。
温泉は、源泉かけ流しではなく、循環でしたが朝から歩き回ったのでスッキリしました。湯から上がり館内ではゆっくりとした時間を過ごすことができました。この次に来る17:21分発までちょうどいい時間だったことも幸いでした。
館内の裏手には「くろほね大橋」があり、渡良瀬川の清流と雨が一瞬あがった空気の清涼感が感動を与えてくれます。そのような景色を見ているとまた来て見たいと思わせる沿線の魅力があります。
あと数分で桐生方面行きが到着します。なごり惜しむように跨線橋の階段を上ってみます。
17:21発桐生行きが、まもなく到着します。
幅広い麺の桐生名物ひもかわうどんを食べる
それが桐生駅南口から徒歩1~2分の場所にあるので立ち寄ってみる。時間は18時をまわったばかり。店に入ると満席で名前を書いてホテルのロビーで待つように言われる。相当予約者がいるような雰囲気だった。
ホテルのロビーも多少混み合っている。それでもこれくらいの人数なら待ってみようと思うくらいだったが、そのうちにどんどん人が増えてくる。
ちょうど混み合う時間に重なったようだ。結局1時間ほどの待ち時間になったようだ。そのあとも、料理が出てくるまで時間がかかっていたので、時間がわかれば予約しておく事がオススメです。