ビーチリゾートでもチャンパ遺跡巡りへ【5】Apr. 28, 2018~May 04, 2018
ホテルを出て二軒隣にあるカフェの「Paramount Coffee & Bar」へ行く。
朝8時前に入ったのだが、すでにドリンクメニューしか渡されない。フードメニューをとスタッフに声をかけた。一応持って来てくれたが、もしかしたらランチ用だったかも知れない。
朝食に淹れたてベトナムコーヒーを。
ベトナムコーヒーではアルミ製のドリッパーでおとすのが、本格派と思っていて理想に近い。相方はコンデンスミルク入り私はブラックのアイスコーヒーを注文したので、どんな味がでてくるか楽しみである。
アイス(氷)は、何度かのベトナム旅行であまり気にならなくなった。普段は入れない方がいいような場所と区別しているが、ここは自分のお腹の具合を考えると大丈夫そうだ。
ホテルのツアーデスクでツアータクシーのチャーターを相談
昨日の夜、ファンランにあるチャンパ遺跡を見に行くため、ニャチャン駅から鉄道に乗って往復する方法も考えてみた。路線バスも3時間かけると行くことができる。ただし、そこから目的のチャンバ遺跡を目指すならタクシー以外なさそうだった。
ファンラン近辺に宿泊してしまうのならいいが、交通機関を使うと移動時間のロスがかなりありそう。そんな時に目に入ったのがホテルの観光ガイドブック。ちょうどPHAN PANG(ファンラン)の写真が掲載されていたので、今までのホテルのようにホテル専用車の貸切チャーターが可能なような気がしていた。
さっそくツアーデスクに行って、女性の担当者に話しかけてみる。最初は、自分の日本語ガイドブックで、ファンランの遺跡のページを開けて、そのベトナム語で書かれた遺跡名を示す。
しかしながら、担当者は完璧に勘違いしているのか、私達が行こうとしている遺跡があまりにも知られていないのか「レンガ色の遺跡」を近くの「ポー・ナガル塔」と思っている。そのためニャチャンの地図を見せて市内一日観光の案内を勧めようとしている。
『そうじゃないんだよな~』と思いつつ、何かの時に役に立つだろうと思ってキャプチャーしておいたページを見せることにする。それは、ホテルの部屋にあった観光案内の小冊子である。
この記事の内容と、こちらのガイドブックの遺跡を照らし合わせてもらうと、「PHAN RANG(ファンラン)」にある遺跡のこととやっと理解してくれた。はじめは普通のタクシーを使うのかと思ったら、ホテルの専用車を貸切に使うという。
ファンランまで100Kmで片道約2時間、遺跡へ移動と見学を加えると往復で6時間以上の拘束になるだろう。確認のため相方がGoogle Mapsを開き場所を見せると距離を理解してくれて、配車係に連絡してくれた。
相方と二人を運んでもらうので2,500,000VND(11,000円)くらいならと思っていたら130$と少し予算はオーバーしているが、市中のタクシーを連れ回すよりも確実に安心である。
そのわけは、インドネシアのソロ駅でチャーターした苦い経験があるからだ。
30分後の10時に出発の予約をとることにした。
ホテルにツアーデスクがあると、ゲストハウスなどにはない旅の自由度が広がる。
国力を失っていく衰亡期のチャンパ遺跡3ヵ所を見に行く
昨日までと比べて、道路の車やバイクの量も少なく感じる。観光客はかなりの人がいるのは、朝のビーチを見てわかる。普段よりも車がスムーズで国道の流れも今までに無い巡航速度を保っている。
4月28日の深夜のニャチャンに到着したので、空港の全景を見ることは無かったし、帰国の便も同じく深夜になる。こうして日が上がっている空港を見るのはこの機会だけだろう。
夜は、あまり見えなかったのだが、カムラン国際空港の周辺は、まさに開発ブームである。この自然環境のなかに、こんなに作ってしまって大丈夫なのかと余計な心配をしたくなる。空港の立地は、カムラン湾がありリゾート開発には最適なのだろう。
空港を過ぎて間もなく見えて来たのが廃墟のような建物。有刺鉄線で囲まれていて立入禁止となっている。なにかもの悲しいがフランスの統治の頃の建築様式なのだろう。
この修道院は、CAM RANH CITY GATEと言って、カムラン国際空港のトランジットエリア内の開発区域にあるため、今後施設として修復して残すのか、無くなってしまうのか興味深い。
アジアハイウェイ1号線沿いにあるホアライ遺跡
「AH1」アジアハイウェイ1号線は、日本の東京を基点とした総延長は20,557kmの路線で、ベトナムは、ハノイからのQL 1(国道1号線)沿いのすぐそばにある。
「こんなところに遺跡が?」と思えるくらい交通量がある場所である。チャンバ遺跡は海に向かって建設されているので、この場所もそのひとつだろう。
ここをニャチャン側から車で訪れるには、中央分地帯を大きく通り過ぎてUターンしてくる。
ホアライ遺跡は3つの祠堂があったとされているが、中央にある祠堂は残念ながらベトナム戦争にて爆撃と砲撃を受けて無くなってしまっているそうだ。
いつ修復作業が行われたのか、ずいぶん状態がいいのでビックリ。このホアライ遺跡をここの地域に住むチャム人は「ヤンバクラン塔」と言われていてカンボジア人の祠堂として信じていた時期もあったそうだ。
中央の盛り土がなんとも痛々しい。積み上げたレンガがもの悲しさを誘う。
北副祠堂はガルーダ(鳥の神)のレリーフがキレイに残っていた。
入り口もわかりにくい小高い丘にあるポーロメ遺跡
ここに来るのに、一度通り過ぎていた。小高い丘にポーロメ遺跡は遠くに確認できるのだが、今走っているこの道路からの入り口がみつからない。一応GoogleMapsで表示しているのだが、道として認識されていないようで枝道が見つからない。
あまりにも、離れて行くのでUターンしてもらう。学校帰りなのか生徒が歩いていたのでドライバーさんが声をかける。指をさしてもっと手前であることを教えてくれたのだろう。ややしばらく戻るが、道が見つからない。
しばらくすると車が一台通れるかする枝分かれの道がある。奥まで続いているので不安だが遺跡の見える方向は間違っていない。再び、道を歩いている女性に声をかける。そのベトナム語の会話は、一言で足りたようなので、この道に違いないのであろう。
途中で、コンクリートの板を引き詰めてある道に変化したので、間違いはないと確信に変わる。しかし、あのなぜ入口から数十メートルが狭いのだろう・・・。雨の日なら路肩が不安になる幅にさえ思えた。
到着すると管理をしている人と二匹の犬がいた。どこから行けばよいかと迷っていたら、階段方向を手招きされる。遺跡に直線で登る階段となんとなく螺旋の階段がある二手が見える。どちらでも行けるようだが、せっかくだから直登りの階段を選ぶ。
そうしたら、子犬がやってきて、人間なら「ついてこい!」とでも言っているように、少し階段を上ると振り返り立ち止まり、こちらが追いつきそうになると再び登って振り返る。なんとも優しい、そして可愛らしい。
先ほどの管理人は、母犬を連れてもう一つの階段から上ってきた。
昨日までのどこに行っても人だらけが嘘のような静寂です。ここの遺跡を観光で目指す人もそもそも少ないかと思いますが。
あとで、調べてみると2013年に修復工事だ終了していたので、比較的状態のよいポーロメ遺跡を見ていることになる。
ポーロメ遺跡は、チャム族の最後の遺跡となり衰退期の建立のためか、壁面の装飾もなくあっさりと作られている。四段に積み上げられるその段階ごとの壁に神が置かれている。
この後、行く予定のポー・クロン・ガライ遺跡と同様に、祠堂の頂上の4つの角には、シヴァの乗り物とされる乳白色の牡牛とされるナンディン神が飾られている。
祠堂の内部は、ポーロメ王をモチーフにしたレリーフ像が飾られていた。
ここの祠堂の扉を開けてくれたのは、私達だけのためだったことがあとからわかった。この ポーロメ遺跡は、周辺整備がされて入るにもかかわらず、無料である。
1962という建物の年号?が気になるが、ポーロメの王妃の祠堂のようだ。
1960年代に作られた、北へ向かう階段。こちらの方が幾分緩やかなようで登りやすいように感じる。
このポーロメ遺跡が、レンガ造りとしてチャンバ建築の最後となってしまう。その後は、木造にレンガ屋根の作りに変わり、時代と共に風化して無くなっていく。歳月の経過は、歴史建造物の価値を高めていくが、チャンパ王国の失ってしまったその後の寺院は歴史にも残らずに消えてしまっているようだ。
ニャチャンへ戻りながら、ポークロンガイ遺跡へ
ここでも、道に迷ったりするのだが、今はGoogleMapsがあるので、ドライバーと険悪になることはない。
マイナーなところへタクシーで行くときは、
- 現地の綴り(この場合はベトナム語)のメモを渡しておくこと
- 車にナビが無ければGPSのマップ(この場合はGoogleMaps)
- 現地の言葉で会話用の翻訳ソフト(私がVoice Traを、相方はGoogle翻訳)を持って行く。
これだけで、無用のトラブルや感情の行き違いなどをある程度押さえることができる。行きたい場所がわからないのは当たり前、という気持ちでいつもチャーターしている。
このようにガジェットを利用することで、グローバルにもなれる。
炎天下のなか到着!ドライバーさんとは1時間後に約束してチケットを購入。
日影がほぼ無い場所なので、ここで待つのは得策では無いだろうし、何処かへ行って昼食でも取って来てもらった方がいい。それにしても、人気(ひとけ)がない。
「昨日だったら混んでいたのかな?」と相方が言うくらい閑散としている。
チケットを見せるまでも無く、入口から入場。
遺跡がある丘までは、公園のように整備されていて歩きやすい。
横には博物館があり、ずいぶん規模の大きい棟が並んでいる。何かチャンパ遺跡かチャム族のものが大々的のおいてあるのかと期待したが遺跡を見た後に寄ってみた。その大きさの理由がわかった。
チャンパ遺跡のお約束、小高い丘にあるので階段を登ります。
この向きは北へ向かって行く登りなので、下りに使うのが本来の使い方のように思える。さきほどのポーロメ遺跡も、どちらでも同じ北への向かう階段があったので気にせず登ります。階段はまだまだ続きます。
階段を登りきると、視界が広がり目的のポークロンガライ遺跡が見えてきます。
こちらも、修復されて時間があまり経っていないようです。
アーチをくぐると主祠堂の全景が現れてくる。その主祠堂は、先ほどまでいたポーロメ遺跡と同じような作りである。
ポーロメ遺跡では感じられなかった、レリーフが多く時代による王の財力の違いなのかと思わせる。こちらは、14世紀なのでポーロメ遺跡に比べて2世紀ほどの差がある。レリーフ淺堀の技術もレンガテラコッタの積み上げの技術も数百年の間に絶えてしまったのかとここの遺跡をみて思う。
この東に向かって登ってくる階段がある。チャンバ遺跡の様式から考えると、本来こちら側が参道だと思える。
レンガ造りではないが、ポークロンガライ遺跡内の西側に建てられている。
ドライバーとの待ち合わせの時間が近づいて来たので、ポークロンガライ遺跡を離れます。来た階段を戻り、博物館へ向かいます。
参道の階段を降りきると、博物館への道があります。
博物館としての棟よりも、大半はお土産品を販売するところでした。陽射しを遮ってくれたので、歩きやすい印象だけが残りました。
日本でも同じですが、観光土産店と名所旧跡をどのように共存していくかは、課題の1つだと思います。ここはお土産屋の比率が高すぎますね。
「こんにちは」と日本語で声をかけられたのは不思議でしたが、いかにも日本人風だったのでしょうか?それとも、ここに単独で来るのは日本人くらいだからでしょうか、不思議です。
ファンランで宿泊するならビーチリゾートも満喫できる「Saigon Ninh Chu Hotel & Resort 」がおすすめです。
ここの遺跡巡りや、ファンティエトの「ポーハイ遺跡」に足を伸ばすのも都合がいいです。
また、ファン ティエトを宿泊先にする方法もあります。こちらの方がムイネーの砂浜やビーチリゾートとしても大きなホテルが揃っています。
今回はニャチャンからでしたので、ファンティエットのチャンパ遺跡「ポーハイ遺跡」はあきらめました。
ドライバーさんがまだ到着していないので、店に寄りって陽の光を避けます。かなり暑いです。
その店内の小窓から今までいた「ポークロンガライ遺跡」がキレイに見えます。ベストポジションでした。
しばらくすると、ドライバーさんが戻ってきました。
食事をしたいので、ニャチャンに戻ってもらうことにしました。その店の前で本日のチャーターを終了します。
カムラン国際空港を過ぎてニャチャン市街まで40分くらいのところで、写真ではうまく表現できていませんが、太陽光が作り出す虹色の雲が出ていました。
店内に醸造所がある有名なビールレストランで下ろしてもらいました。昼抜きでしたので、もう腹ぺこです。そろそろ17時になります、ランチを通り越してディナーになってしまいました。
店内にビール醸造の機械が出迎えてくれます。
相方と乾杯をして今日もニャチャンの陽は暮れて行きます。
普段なら色々な味が楽しめるようですが、今日はあまり種類がありません。お試しテイスティングセットが売り切れだったのは残念でした。
明日は最終日、ニャチャンの街をテクテクと。します!
つづく・・・
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