プノンペンから行くサンボープレイクックや南部遺跡の旅【6】
Dec. 30, 2017~Jan. 04, 2018
東南アジア圏の都市には、夜遅くまで賑わっているナイトマーケットがつきもの。衣料品を買ったりするだけでなく、食べ物を食べたりアルコールを飲んだりしている。一方で、朝市の賑わいを見ると、いつから販売の準備をするのか、そして購入者がいつから集まってくるのか。
ナイトマーケットに集まってくる人達とダブっているとすると、その元気の素は今の日本人ではかなわない睡眠時間の短さかもしれない。そして、購入した果物や野菜、魚の量を見ても、車に乗せるのではなくバイクに積載できるだけのせるのも、よく見る光景になった。
昨日、サンボープレイクック遺跡の時の日本語ガイドさんとともに、南部遺跡を目指す。朝7時にホテルロビーでピックアップ。5分前にグランドフロアに降りて行くと、日本人以上に時間が正確な人柄なので待っていてくれた。
プラサット・プノン・ダ 遺跡へ
早速車に乗り込み、2時間半位の移動と告げられた。オリンピックスタジアムの横を通るとき不思議に思った。ポルポト支配が終わり、今日までカンボジアでオリンピックを開催したことがあったとは思えないし、立候補したという記憶も無かった。
この立派な競技施設が、生かされる間に是非カンボジアでオリンピックを開催してほしいと願うばかりだ。そのまま、道なりに進んで行くとポルポト政権化での処刑場として有名なキリング・フィールドの入口が見えてくる。
ポルポトの社会主義改革の断面ここキリング・フィールドの特徴は、方針に疑問に思う党の幹部以外に、知識人である医者、技術者、研究者、教師などから虐殺し、最後には僧侶、学生、農民までに及んだという。なぜなら、頭の良い人間ほど物事の良し悪しを判断する能力に長けているので、政権への反発や疑問などが起きやすい、と考えたという。
ガイドさんがぽつっと言った。「自分の父は医者だった」と・・・。
続けて話した事は、私達日本人にも心の奥まで深くえぐってくる。
核を保有し大陸間弾道ミサイルの性能をあげて、国民の生活をかえりみない国よりも、
「国民を無差別に虐殺しないだけまだまし」
それくらい、小さな頃から苦しんだのだろう。(子供しか生き残れなかった)
また車道は舗装されているが、路肩は土が出たままである。今は乾期で雨はないが、雨期の時期にこの道を使えば荒れた道路になるのだろう。
雨が続くと、川を使ってボート移動になるとも思える。
東南アジアの遺跡を見ていくと、川などを使った水路のある場所に文化が発展している気がする。
この橋を渡ると、聖山の山頂に建てられた「プノン・ダ遺跡(Phonm Da)」に到着する。土地が低いのか、少しでも高い丘に建立したくなるのもうなずける。
入場料を払おうとするが、人がいない。ガイドさんが近くの商店に声をかかると居場所がわかったらしい。それにしても、あまり観光客がこないのか、それとも1月2日という日取りなのか・・・。
世界遺産に指定されていない遺跡は、ゴミの散乱が目立つ。今回のプノン・ダ遺跡に登りはじめる山道も気になるレベル。この案内所の横には、ちゃんとゴミ箱が備え付けてある。このようなゴミ問題は、多少日本に学んでほしい。
階段を登って行くので、歩くのが苦手な人は行きにくい。
さらに、木々に囲まれた山道を登っていくと、目的のプノン・ダ遺跡が見えてきます。
ラテライト石と赤いレンガのコントラストが、この頂にあるのは圧巻です。
昨日見た、サンボープレイクック遺跡が大半屋根が抜けて落ちていたように、こちらも同じです。
入口から横にまわってみると、よりレリーフが強調されて見えます。
登りとは違う山道で下山します。階段など整備は行き届いています。
一度平坦な道になります。遠くを見るとベトナムとの国境が見えます。
さらに下って行くと、「アスラム・マハー・ルセイ寺院」が見えてきます。
乾期なので、山道は乾いていましたので歩きやすいですが、雨期との変わり目ならもっと印象が違うかもしれません。さすがに、虫除けを塗っていきましたが何カ所か刺されてしまいました。
ここに来るなら、「虫除け」は必須アイテムです。
低山の山頂にあるプノン・ダ遺跡から、くるりと一周して降りて来ました。
アンコール・ボレイ博物館の存在
車で、5分ほど来た道を戻ると、プノン・ダが栄えた年代の遺跡が保管展示されているアンコール・ボレイ博物館がある。ベトナムとの国境も近いこの場所周辺には貴重な遺跡が多数発見されている。
プノン・ダ遺跡からは、ボートで10分くらいにあるので、この博物館へは川の方からの来客が多いという。そのため、博物館の鍵が開いていないようだった。
そのため、入口のドアは大きな錠前で鍵がかかっていました。
ここに保管されている遺跡は、プレアンコール期を証明するこの地帯(現在のカンボジアとベトナム)から大量に発掘されたモノを分類、管理し保管している。
しかしながら、本物の多くは、プノンペンにある国立博物館に貸し出して展示しているそうだ。こちらの博物館は、レプリカも多いと説明があった。まだまだ、分類されていないモノも多く、これからも時間をかけて研究が進んで行くようだ。
大きな博物館ではないが、出土遺跡の数が多く、その説明がカンボジアの国ができていく過程であり、有名なアンコール朝の前時代を築く基礎となるような場所であった。
ここまで、プノン・ダを含めて観光客らしき人達は数人、ゆっくり見ることができました。南部遺跡は、プノンペンから交通機関をチャーターするだけでなく、専門のガイドさんがいないと、対処できないことが多いです。(クメール語を理解して話せれば大丈夫ですが・・・)
プノンペンにある国立博物館へ足を運ぶなら、こちらの「クメールの彫像」という書籍があると便利です。2014年の新版となり活版からの変更で読みやすくなりました。
アンコールボレイ川からのボートの桟橋付近、博物館横にあります。
この横には、小さな店があり飲み物などが買えるようです。現地の日本語ガイドさんは、冷たい(氷入り)コーヒーを飲むと言っていましたが、私達、日本人はここの氷を使った物は飲まない方がいいだろうとアドバイスくれました。
もう一つの山の上へ、プノン・チソール遺跡へ
アンコール・ボレイ博物館を出て車で1時間ほど、山の上にあるプノン・チソールへ。西から登る長い階段状の参道が続きます。GoogleMapsで測ると750mで16分とでてきます。
ここまで来るまでの道路の状況ですが、舗装されていないところもあり、たまにトゥクトゥクを使っている外国人も見かけましたが、埃の侵入は避けられません。タクシーの方がオススメです。
そんなに急勾配ではないのですが、ダラダラと長くつづく階段で、躊躇する海外の観光客の方がいました。大きめのバスで来ていたのですが、足腰が弱っている人は無理しない方がいいようです。
階段の幅は広くなり、緩やかな坂道になります。
まだまだ続きます。
やっと山頂付近で平らの道になります。前方には、遺跡というよりも俗な色使い?の建物があります。雰囲気が鮮やかです。
建物の日陰を使ってくつろいでいる人もいます。
新しく作られた寺院などが右手に建っています。その横を抜けていくと目的の「プノン・チソール遺跡」が見えてきます。
正直やっとの思いでここに到着したときあまりの雰囲気が違う世界なので、本当にあるの?って気持ちになります。
かなり傷みが進んでいる様子です。一応、外壁に沿って進んでみます。
振り返ると、このプノン・チソール正面への参道が遙か下に見えます。さらにその道は一直線に西へ伸びています。
石段の下に見える遺跡は、GooleMaps を起動させると「Sen Thmoul Temple」となっている。近くまで降りていったが、かなり崩壊が進んでいるようだった。
プノン・チソール遺跡の正面側になります。
ただ石を積み上げているような状態になっていて、歩き回る場所を選ばないと落ちてきそうです。唯一の救いは、カンボジアは地震がない(少ない?)ので、その影響で崩れてくるような場面に出くわさない事です。
しかし、こんな補強で上部のラテライト石を押さえているものもあり、今回は晴れの日が続いているものの、雨が降ったらどうなんだろう?というレベルです。
しかし、下に落ちてしまったレリーフは、遺跡全体の傷んだ状態に比べて、保存状態の良い物が多いように思える。
遺跡の城壁内は、状態の良い建造物などいくつか見られます。
中に入っても良いというのでお邪魔しました。
プノン・チソール中腹にある高床式の食事処へ
来た道を戻ります。帰りは下りなので照りつける日差しの事を考えなければ楽です。ちょうど、来るときに、食事の予約をしていた店へ向かいます。
ここで、この道は何メートルと聞いたのですが、253mと言っていました。きっと、入口からではなく、ここから山頂までの距離だったようです。
屋根があり、風が通り抜けるだけで涼しさを感じます。フロアの横並びに、ハンモックが付いています。はじめはうまく乗ることもできないくらいバランス感覚が必要です。
入口で、ここら辺で採れる木の実をガイドさんが買って来ていました。試食としていただきましたが、完熟していて香りに負けます。お腹のお通じに良くなるとの話ですが、あまり美味しい物ではありませんでした。
サプリメントにでもすればヒットするのでしょうか?そんなに収穫できないか・・・。
ランチは、多少時間の過ぎた13時30分頃だったと思います。朝はホテルでたっぷりと食べていますので、まだそんなにお腹はすいていません。
しばらくすると、昼食の料理が出てきました。レモングラスを使ったチキンですが、この暑さの中での料理としては理にかなった味付けです。これは本当に美味しかったです。
あとから、これに、おなじみの「空心菜」の炒め物が出てきます。日本と同じ米の文化なので違和感のないランチです。ただし、スプーンとフォークを使うところが違いです。
トンレバティ地区にあるタプローム遺跡とジェイポー遺跡へ
この食事処からは、250段くらいでしょうか、階段を降りながら来た道を戻ります。下りのおかげで5分ほどです。若いカップルなど数組の人達と出会うので、休日などデートコースなのかも知れません。
カンボジア南部に広がるプレアンコール期の遺跡巡りも最後になります。ホテルのあるプノンペン方面へ国道2号線を使って戻る道のりになります。1時間までかからないようですが、15時くらいに到着の予定です。
このトンレバティにある遺跡はとても状態がいい、という第一印象です。
遺跡を見に行くと、東南アジアではつきものです。花や線香売りが待っています。しかしながら、入口では全く無視されていました。
狭い石垣の城壁あとを抜けると、視界がパッと開けます。ヒンドゥー教のタプローム寺院というか遺跡が見えてきます。
今回見てきた遺跡に比べて、周辺もよく整備されていて、まるで「世界遺産」の文化施設のような感じがします。
また、貴重なレリーフの保存状態も良好に見えます。
遺跡の中に入ると、非常に清掃されている事がわかる。
ここの遺跡は、観光としては、なぜか生活感を少し感じます。
水ないとのどつまりしそうになりますが、甘さもちょうど良く食べやすい。周りの人が集まって購入していたので、人気のお菓子なんでしょう。これはガイドさんからのプレゼントで相方とひとつずついただきました。
遺跡の全体のレリーフもきれいな状態です。
ここまで、遺跡の保存状態もいいし今回の遺跡のなかで、地面にゴミが非常に少なく保たれていることでした。さらに、プノンペンから比較的近い位置にあるので、ここだけに来る目的の観光客も多いようでした。
それだけ、海外からの来場者も多いので成り立っているのでしょうが、2つの事に対して不愉快に思う人も多いように感じました。
まず、
◆1,花とか線香を販売のため声をかけてくる。このような販売は、東南アジア方面を旅するとどこの国でもありますので否定する物ではありません。しかしながら、花一輪が1ドルというのには、価値感が違いすぎます。
たしかに、カンボジアを観光するならドルに両替する方が便利でです。2014年にアンコールワットのシェムリアップに言ったとき、観光客相手の商売がドルなので時には法外な金額になりかねない。
それで、今回の旅は円からリエルに両替をして観光をしてみました。ほぼ、観光ではドルで言ってきますのでなんとなく、サイフから出してしまいそうです。しかしこれをこのプノンペンの物価に対応したリエルに換算すると、高いとか安いとかがすぐ判断できます。
この時、プノンペンでは1$は4100リエル換算でした。花で言えば数本の束となっているならわかるのですが・・・
◆2,物乞いが多いチップの要素として捉えるのならいいのかも知れません。ジェイポー寺院の門の手前で年配の女性が数人、物乞いを迫ります。私達以外の観光客も多いので、声をかけています。
海外から来る観光客は、憤慨や不快な思いをする方も多いようです。ここに着いた時に感じた観光地にはない生活感の原因がはっきりしました。
ガイドさんに聞くと、この人達は、ここの寺院の清掃を毎日一生懸命にやっているという。
圧倒的に、ここの遺跡がキレイな状態を保っている理由の一つという事がわかった。それぐらい清掃が行き届いている。日本的に言うとボランティアと言われる範疇である。それならば、清掃の事業を通して、労働を整えて給与という形にもできないのか、という気持ちになりました。そして、小学校低学年くらいの子供の物乞いが、それにつづいて多いのが気になった。(学校などに通って教育を受けているのだろうか)
城壁の外を回って、ジェイポー寺院に行きます。
タローム寺院を去ろうとすると、色々な物売りなどが集まってきました。入口にいた花売り娘二人も、仕事に熱心です。さっき最初にあったときは、全く売る気なしだったのに、なんていうことでしょう。
その時に会った、赤い服を着た少年もずっと付いてきていました。きっと、入口付近で客定めをして、観察して最後に一気呵成に、というビジネスモデル?なのかも知れません。
ジェイポー寺院への門です。ここをくぐると、気分が少し変わります。
小さな男の子だけは、まだついてきます。情に流されてきましたので、本当は、絵葉書とか何かを持っていれば購入してもいいかなと思います。ただ、ニコニコするばかりで、何も持っていないんですよね。
ガイドさんの説明があった。こんな伝説がこの寺院には残っているらしい。
アンコールからやってきた王と恋愛関係にあったジェイポー。しばらくして王はアンコールへ戻る。そのとき王は指輪をジェイポーに渡している。そのジェイポーは男の子を出産するが、息子プロームが成長するまで父親との出生の秘密を隠していた。あるとき、その秘密を打ち明けてかつて王にもらった指輪を持たせて息子をアンコールへ生かせた。もちろん王は向かい入れた。その後、息子であるプロームは、母ジェイポーのもとに帰ってくるが、母と気づかずに結婚を申し込んでしまう・・・そこで、プロームとポーは、一晩で寺を建てた方が結婚するかどうかの権利?を得る約束があったようだ。その時の寺がジェイポー寺院である。この課程のなかで、プロームは母である事がわかる。『この時のプロームの複雑な心境は、と同情してしまう。』-テクテクと。筆者
朝早くから巡ってきたプノンペンの南にある遺跡の旅もこれで終了である。
プノンペン南部の遺跡の資料はまだまだ少ないので、ここで、写真入りハガキやルートマップや伝説などを書いたリーフレットなんかを販売すれば、売れそうだけど。
ここからホテルまでなら距離で30km程度なので1時間以内で到着しそうだ。中心部に向かう道路は、いつものように渋滞だろうから17時頃まで到着すればスムーズと言えそうだ。
明日はいよいよプノンペンの旅の最終日。近場を夕方まで回って、夜の便で帰国します。
つづく・・・。
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