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【シェムリアップ】11、大回りルートで、アンコール遺跡群を再訪するーその2

 

バプーオン(Baphuon)

バプーオン(Baphuon)

クメール遺跡を求めて6年越しのシェムリアップへ【11】Apr. 29, 2019~May 06, 2019

記念写真スポットはお約束。ちゃんと止まってくれる

記念写真スポットはお約束。ちゃんと止まってくれる

今回とは大違いの2014年。時間は2時間位遅いので比較にはならないけど、こんな写真は絶対に撮れなかったと思う。その証明が下の写真、大渋滞しているし左右の欄干には人だかりでした。

バイヨンからバプーオンを抜けてライ王テラスで待ち合わせ

こんなに人が集まっていました。それでも「南大門」をバックにチーズ!

こんなに人が集まっていました。それでも「南大門」をバックにチーズ!ー2014年5月3日撮影

この人だかりでは、左右の欄干が「乳海攪拌」をモチーフにしていても全体がわからずじまいだった。しかしながら、今回トゥクトゥクで訪れることで本来見るべきものを見通す事ができたのは収穫でした。

南大門をくぐってバイヨンへ向かいます。直線で1km以上の道は、木々に囲まれトゥクトゥクの走行風と相まって、渋滞もなく排ガス臭くもなく快適です。

遠くにバイヨンが見えてきます。

遠くにバイヨンが見えてきます。

宇宙の中心の「バイヨン」です。ライ王のテラスあたりで待ち合わせと言うことでトゥクトゥクを降ります。

遠目には気づかなかったが、バイヨンの入口に「観世音菩薩」の壁面彫刻が見えている。

前回来たときには気づかなかった仏像があったりします。

第二回廊から階段で上に登りますが、降り口は別になっています。ところがここは観世音菩薩の四面塔で構成されていて、約束の位置で待ち合わせしようとしても迷子のようになります。決して空間的には広くはないのですが、迷路のような錯覚に陥ることがあります。

一度、ここに来た道のような雰囲気で、これが宇宙かと思わせるところがあります。

ぐるぐると何周もしてしまいます。

ぐるぐると何周もしてしまいます。

相方とここで集合場所を決めても、お互い場所が不案内になります。

階下への階段を見つけますが、登りと同様急勾配です。

アンコール・トムから離れてバプーオンへ

アンコール・トムから離れてバプーオンへ

これからビラミッド型寺院のバプーオンを目指しますが、強い日差しが40℃とも思える気温になって疲労感満載です。

案内板を見たあとしばらく、一休みしました。

案内板を見たあとしばらく、一休みしました。

案内通り進んでいきますが、暑さで足取りも重く休憩と水分補給が多くなります。その分歩く距離が長く感じてしまいます。やはり、エアコンが効いた車に乗るツアーの方がいいと思えることもあります。

また、この時期にシェムリアップを見るのは、間違っているという意見もあります。乾期である11月頃からなら随分快適かもしれません。

子隠しという意味の遺跡バプーオン

ここで、アンコールワットが翻弄された歴史です。タイ国は「シャム」といい、カンボジアは「クメール」とすると、ベトナムは「チャンバ」と総称されています。

ここでも、隣国のチャムから預かった「王」のお子さんを陰謀として、殺してしまう。その報復を恐れた王妃が、ここバプーオンにかくまった伝説から名付けられたとされる。

別名隠し子寺院と言われています。

別名隠し子寺院と言われています。長い参道は「空中参道」と言われています。

もう少し詳しく書くとタイとカンボジアの王が兄弟だったため、タイの王子を預かります。廷臣(けらい)から将来、大きくなるとカンボジアを滅ばすと言われます。そこでその王子を殺してしまう。

タイの王はカンボジアへ軍を侵攻させてしまった。

自分の子を守るために作られた寺院だったようです。

 

ここではアンコールチケットの提示は必要ないようでしたが、見学者の肌の露出には厳しく言われます。女性のヘソ出しや肩だし、男性でもかなり短いショートパンツ(短パン)は注意されています。(アンコール遺跡は全体に厳しくなっているように感じます)

肌掛けなどがないと戻ることになります。

肌掛けなどがないと戻ることになります。

急勾配の階段は、アンコール遺跡には欠かせない?

屋根のついた回廊があります。

修復がされていて内部はきれい

修復がされていて内部はきれい

王宮跡とピミアナカス遺跡へ向かうのに地上へ降りていきます。バプーオンの修復プロジェクトの情報案内があります。屋根付きなので少し暑さが和らぎます。

バプーオン(Baphuon)を離れます。

バプーオン(Baphuon)を離れます。

見学順路としては、こちらが支持されているようですが、人気の像のテラスやライ王のテラスは道路沿いにあるので、もとの参道へ戻る人の方が多かったように思います。この二つのテラスは、前回見ているので、これから行く王宮の塔門をくぐって像のテラスへ向かうことにします。

所々に、このような看板があり、道順を教えてくれます。ただし、地元の人が使っている以外観光の人は前にはいないようでした。

荒れていますが、このような塔門も見ることができます。

荒れていますが、このような塔門も見ることができます。

ライ王・象のテラスまで続く城壁はきれいに残っています。

天宮の宮殿と言われている「ピアナカス」があります。遺跡内は立ち入り禁止になっています。

遺跡に近づく事はできませんが、屋根付きの回廊には興味をそそられます。

遺跡に近づく事はできませんが、屋根付きの回廊には興味をそそられます。

王宮は、他の遺跡と同じように木造のため残っていないが、女池や男池は残っている。現在は乾期から雨期に入るシーズンであるが、ここ10日以上雨が降っていないので水量は少ない。

大きい方が女池という

こちらの大きい方が女池

この角度なら、二つの池が見えてきます。

象のテラスの裏側にあたる王宮の塔門の前にやっとたどりつきました。

入口の向こう側は象のテラスが広がっています。

象のテラスの上部です。

象のテラスの上部です。

象のテラスの上は、このような広がりになっています。

ライ王のテラスまで続いています。

そんな事をしていると、なぜか心配してくれたのか、この下からトゥクトゥクのドライバーが呼んでいます。確かに通常の観光ルートとは違った動きでしたので時間もかかりました。

普通はこの下を観光するのが人気です。

ようやく、ちょっとマイナーとも言える王宮を離れます。

王宮の塔門正面

王宮の塔門正面

象のテラス長い城壁に象の彫刻のなかにガルーダが配置されている。

 

本当は歩いてライ王のテラスで待ち合わせていましたが、もう暑さの限界です。ここで乗車させてもらう事にします。

ここを舞台にした戯曲が三島由紀夫氏によって書かれています。そのまま「癩王のテラス (1969年)」の表題は戯曲として最後の作品なりました。文庫本で販売されていればいいのですが、全集の25巻目に入っているようです。


これから、北大門を抜けて「プリア・カン」へ向かいます。その前に昼食を取る事にします。

北大門を抜けていきます。

 

 

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