9、ジャヤヴァルマン7世ーシャムとチャンバの狭間にあってーバンテアイ・チュマール

クメール遺跡を求めて6年越しのシェムリアップへ【9】Apr. 29, 2019~May 06, 2019

ここは、タイ国境まで20kmほど。

現在の東南アジアの地図からみたアンコール王朝を含む王道は、ベトナム「ダナン」からシェムリアップを経て、タイのアユタヤを通りスコータイまで続くとされる。(クメールの道)

その要所としてカンボジアの地にバンテアイ・チュマールが建立されている。

アンコールトムのような乳海攪拌の欄干

アンコールトムのような乳海攪拌の欄干

二十二手の千手観音の彫刻、バンテアイ・チュマールへ

シェムリアップからは快適な道路に整備されているおかげで、150km程の道のりを2時間30分ほどで到着する。

この遺跡の料金所(5$)を通り、遠くをみると崩れ落ちた遺跡の姿が徐々に見えてくる。

看板によってここがバンティアイ・チュマールだとわかる

看板によってここがバンティアイ・チュマールだとわかる

思ったよりも遺跡内はよく整備されているのは、ここ数年で一気に整備が進んだように思える。

中央寺院が崩壊している中で、ガルーダがきれいに残っている。

中央寺院が崩壊している中で、ガルーダがきれいに残っている。

守り神であるガーナは健在である。

盗掘によって、切り落とされた石塊が、この遺跡の痛々しさを物語る。

東の塔門付近にあるたくさんの腕をもつシヴァ神のレリーフは、うまく維持していってほしいものだ。

これも比較的いい状態で残っている。管理される前はこのままではと思わせる場所だが、今はもう安心!

きれいに残る回廊のレリーフ

クメール軍とチャンバ軍の戦いを写実的に描いている。

このレリーフ(浮き彫り)の仕様は、描き方がアンコールワットの第一回廊の東面と共通するように思える。

全体は、崩壊は進んでいるがこのようなレリーフが残っているのは貴重である。

アンコール・トムのようなバイヨンの形式でつくられているようだが、他の遺跡のようにガジュマルなどの成長による破壊ではなく、人為的で作為的な盗掘による破壊も目に付く。それ故に、回廊の一部にこのようなレリーフが残っているのは希なのかもしれない。

柱と屋根がかろうじて残る。

柱と屋根がかろうじて残る。

有名な観音菩薩のレリーフ

アップで撮ってみると精巧に彫られていることがいっそう確認できる。

西塔門のあたりになろうか、向かって左側にも千手観音のレリーフがある。

今年になって、瓦礫の上に木道を整備しているので、以前に比べてかなり歩きやすくなっているそうだ。以前は瓦礫となった石の上を歩くことも多かったようです。

ジャヤヴァルマン7世が作ったので、アンコール・トム仕様の四面仏頭の遺跡であることが分かる。しかし、四面が残る物はない。

四面仏頭が現存していれば、もう少し早くから注目されていたように思う。ここは作為的な壊され方をしてきたのかなと思わせる。仏頭が残っているバイヨンがあまりにも少ない。

崩壊のなかに、状態のよいレリーフが残っています。

微妙に支え合っています。この下を通り抜けるには勇気が必要です(-_-;)。

地震の無いカンボジアならでは!今にも崩れる?

地震の無いカンボジアならでは!今にも崩れそう?

ここの遺跡は、30年から40年ほとんど手を加えることなく放置されていたと思う。その期間にカンボジア国内の内政にも感化されていたし、それが収まればタイとの国境に近いこともあり遺跡収集には、盗掘にも都合がよかったのだろう。

東塔門へ一周して戻ってきました。

東塔門へ一周して戻ってきました。

南にある「プラサット・タ・プローム」へ移動

エアコンが適度に効いた車に乗り込み5分ほどの移動で、目的の遺跡についた。

四面仏頭の遺跡が、遠くに見える。

プラサット・タ・プローム

プラサット・タ・プローム

雨期であれば、ここは遺跡を取り囲むようにお堀があったように見える。

遺跡の中は、添え木で補強しています。補修などで非常によい状態を保っています。それにしても、日本のように地震がほとんど無いのが、このような遺跡の現存に役立っているように思います。

積み上げているだけなのに、堅牢とさえ思えてきます。

※カンボジアの人は、日本は大好きだけど地震は嫌いと言います。
内部構造

内部構造

アンコール・トムに通じる、四面に観音仏になっているのが、横から見てもわかる。

これが終わると昼ご飯になります。

郊外の遺跡の場合はほとんど、近くのレストランを借りて「ランチボックス」という形態が多いようです。オプショナルのツアーで現地のレストランを使えるくらいクォリティが上がるまでは時間がかかりそうです。

何度か屋台のような場所とかで食事をしていますが、私の場合は、火の通った物を少し食べるくらいなら大丈夫そうです。

籐籠に入った豪華仕様でした。

籐籠に入った豪華仕様でした。

食事を終えると、あとはホテルへ戻るだけです。往路は、交通量も少なく天候にも恵まれて2時間30分ほどで到着しました。また、他の観光客も少なく遺跡巡りも順調でした。

それを考えると、復路の道のりも同じくらいの時間を考えればいいように思えます。かなりゆとりを持っているスケージュールという事がわかります。今後、ここに来る人達が増えて人気が出ると本来のスケージュールの時間が必要になるかも知れません。

遺跡の手前のシソポンという街で珍しく信号機が・・・

遺跡の手前のシソポンという街で珍しく信号機が・・・

信号機もほとんど無く、これなら「トゥクトゥク」の移動手段も考えがちですが、長時間の走行による風圧、天候の急変による雨などを考えると、エアコンの付いた車の移動が最も安心です。

さらに、人気スポットなら別ですが、現地のガイドさんの役割は大きく不案内の場所へ行くには、撤去されていない地雷や治安などを考えると言葉の壁のない人がいる安心感が必要と思います。

ホテルに着いたのは、思った通り2時間半の行程でした。

カンボジアと日本人として印象に残す人がいます。

プノンペンからサンポープレイクックへ向かう途中に「アツ小学校・中学校」があります。中田厚仁さんは、カンボジアの国民投票による選挙に尽力した人です。残念ながら、その総選挙をする前に、何者かの銃弾によって命を落とします。

概要はこちらの「note」で書いています。

カンボジアの平和の夜明けを目指した日本の青年「中田厚仁さん」の墓へ

もちろん、このblog内でも「ちょっと寄り道」に投稿しています。

もう一人、ベトナム戦争からカンボジア内戦時にフリーのカメラマンとして活躍した「一ノ瀬泰造さん」がいます。ポル・ポトの支配化が進む中、アンコールワットを目指していて行方不明になったといいます。その当時の地雷などがまだ遺跡周辺に埋まり、撤去がされていないところがあるという事です。

1972年当時の指導者達(出典:地雷を踏んだらサヨウナラーカンボジア従軍記より)

1972年当時の指導者達(出典:地雷を踏んだらサヨウナラーカンボジア従軍記より)

約20,000にも及ぶ写真ネガのコマが「地雷を踏んだらサヨウナラ (講談社文庫)」などの出版物として残っています。

普段ならKindle版をオススメするのですが、今回は文庫版が安価です。

戦争なんかやってはいけないんです。