今回は、観光土産を買うから、作るを体験し思い出に残す事ができました。
クメール遺跡ボロブドゥールの旅【8】Apr 28, 2016~May 04, 2016
昨日の夕食は、ソロからホテルに戻り、シャワーを浴びてレストランへ。
メニューを見るとインドネシアのオーソドックスな「ナシゴレン」が目に入った。私は冒険をせずにすぐに決めた。相方もきっと「ミーゴレン」か何かかな?と思っていたら、なんとペスカトーレだと言う。
『ビールを飲めればいい』と思っていたのでさっそく注文をした。
できればビールの泡は3:7の黄金比率でお願いしたい。
東南アジアで気づいたことがある。瓶ビールのグラスへの注ぎ方がイマイチなのだ。折角の泡を立てないように、グラスの表面に沿うように注ぐ。
ここインドネシアのレストランでもそうだった。その時の衝動としては、グラスとビールの最適な泡比率を教えてあげたくなるレベル。1杯目はスルーするとして、2杯目からは私の流儀に従って、クリーミーな泡をグラスに再現する・・・ どう考えてもこの方が美味しいだろう。
このホテルのレストランは、思ったよりも食事をとっている人が多かった。
私達の会話を聞いていたレストランのスタッフが、「日本人ですか?」とイントネーションが東南アジアでよく耳にする声で聞いてきた。
新潟の燕市で以前働いていたそうだ。こことの気候の違いで寒さがつらかったようだった。「どこから来た」と聞いてきたので、すかさず相方が、
「北海道 札幌」というと、ちょっと考える仕草から、ハッとひらめいたように、「もっと寒い・・・」と言って、凍えるジェスチャーをして見せた。
念願のトランスジョグジャに乗車
今日5月2日(月)は少しゆっくりして、ホテルを出た。まず向かった先は、通い慣れたマリオボロ通りにある観光案内所へ。
そのすぐ前にトランスジョグジャのバス停があるのはわかっていた。観光案内所でプラウィロタマン地区を目指すには、どこから乗車できるかの確認である。観光パンフレットをもらい、ここで降りるようにと印をつけてくれた。
目の前にあるトランスジョグジャの停留所から乗車できるようだ。
ここに日本人語を話せるスタッフがいるという情報もあったが、私達が行った時は出会うことができなかった。
バス停スタッフと車掌の息の合った仕事ぶり
バス停にいってこの付近まで行きたいと言うと、何台かくるトランスジョグジャをやり過ごすように言われ、2Aが来たら乗るように促された。
さらに、車掌と何やら話しているようで「この二人組は、○×▲で降りるようだから、教えてあげてくれ!(あくまで想像。。。)」と言ってくれていた。
しばらくすると、車掌さんから目で合図された。次のバス停で降りるようだ。時計は10時になったばかりである。
降車後、目的地まで少し歩くようだ。こんな時はGoogleMapsは頼りになる。
Lecker(レッカー)に、コーヒーを飲みに行く・・・というと
道路を渡ろうとすると、ベチャのドライバーから声がかかる。
こちらは、ベチャ・マシーンとかモートルとか言われるもの。
これまでのベチャのドライバーとは、明らかに異なる人なつこさである。通常なら、危険人物と緊張して、相手にもしないのだがどこか違う。
「Lecker(レッカー)に、コーヒーを飲みに行く・・・」と片言英語で話す。
わざわざ、交通量の多いこの道路を一緒に渡ってくれる行動にでてくれた。
ここの道路の交通量は、確かに難所だったので相方が丁寧にお礼を言った。
ベチャモートルのドライバーは、「ここにいるから戻って来たら声かけて・・」というジェスチャーと英単語で言っていた。
「なんか人良さそうだよなぁ~」
「居るかどうかわからないわよ!あの人なら客をすぐに見つけそうだし・・・」といつものように無情の回答である。
しばらく歩くとインドネシア珈琲を楽しめる『レッカー』の看板が見えてきた。
「ガーン・・・やってない、えっ」
ちょっと時間が早すぎでした・・・オープン前!
少し佇んでいると、ここの従業員の人なのか声をかけてきた。内容はこうだ。
昼の1時過ぎぐらいからオープンすると言う。しょうが無いと思い、並びにあったバティックショップを見てまわるることにした。
「そう言えば、ガイドブックに昼過ぎからって書いてあったように思う・・・」と相方が言う。
陽の照り返しが、アスファルトに反射して目が乾燥するのと、皮膚がジンジンしてきた。「どこか、エアコンの入っているところに緊急避難!」と言いつつもなかなか決められない。
大型のバティックショップに入ってみる
「プレントン(Plenton)」と読むのか大型のバティックショップがあったので、中に入る。どちらかというと、観光客のショップらしく日本人も含めて多くの外国人が集まっているようだった。
相方は、バティックのストールを、購入した。私はバティックのネクタイを手に取り模様が気に入ったものを選んでみたが、シルクなのだが滑りがよくない。
そしてネクタイに必要なコシも不足しているが、ジョグジャカルタに来た記念に買うことにした。
あまり好きでもない観光ショッピングを終えて、道を戻ると先ほどの『レッカー』が見えてくる。ソロソロ始まるのかなと思って店の前に来たが、オープンの気配がない。
バティック専門店Winotosastro(ウィノトサストロ)でバティック体験
「もどろうよ!」相方が言い出す。
『どこに戻るのかな?と考えたが、きっとベチャドライバーがいる交差点の事だ』と理解してみる。そのあとに、銀細工の専門店「ボロブドール・シルバー」(公式サイトは不安定です)に行く予定でいたからだ。
どんどん、陽差しが強くなってくる。
歩いているうちに、もう一件「バティック専門店」がある。また、観光客が多く来店するのか大型の観光バスが止まれるような大きなスペースが入口前にある。「Batik Winotosastro(ウィノトサストロ)」という店名でこの時間個人で来る客が大半を占めていた。
どちらかというと、バティックに興味を持ったというよりも、陽差しを避ける建物に入りたかったという動機であったが・・・。
店内はあまり人がいなかったが、商品が置いてある店というよりも奥に広い工房が印象的。
よく見ると秋篠宮ご夫妻が、ここにご訪問されていたようで写真が飾ってあった。
そのためか日本人には、店の人達がどても親切な接し方をしてくれるのが肌で感じる。ここは、普通の価格のバティックから高級品まで揃っていた。
『ここで買った方がよかったかなぁ』と思えたほど、人の混み具合とは違ってしっかりしたものがあったような印象だった。
しばらくすると、店の人に奥の方へ手招きされて従うことに。
工房では、バティック(ロウケツ染め)ができる
工房でバティック体験ができるという。ここへ来てバティックって何だろうって、今更ながらスマホで調べて見ることにした。何のことはない「ロウケツ染め」である。その更紗の技法に特徴があるのだろう。
相方は「楽しそう・・・作っていく・・・」とやる気満々である。
それなら、私はカメラの撮影係に徹します。
親切に作業工程を教えてくれる
まず、大きなバンダナサイズの木綿の布を渡された。はじめから、周囲の模様はロウで加工されて、それを見ると何となくどんな風に仕上げればいいのか検討がついてくる。その布を持って、チャップと言われる「型」選びをする。
1つを決めると、そのデザインに合ったチャップをいくつか棚から取り出して選んで行く。
撮影係にまわった私の方は、工房内の全体を見渡して思うことがあった。『丁寧に教えてくれるので、団体で大挙したりしたら大変だろうな!』などと余計な詮索をしてしまう。それぐらい、ひとりにつきっきりなのだ。
ピッタリと重ね押し、プロの技で補完してくれる
次は、選んだチャップにロウをつけて、先ほどの木綿の布にスタンプをする要領なのだが、ここにも、職人の秘技がある。相方が最初に位置を決めて押した場所に、一寸違わぬ重ね押しをしていく。本当にずれていないのである。
いくつかのスタンプの工程が終了すると、仕上がりデザインの全体像がうっすらと見えてきた。相方は、さっきまでの熱中症気味の元気の無さとは、相まって目を輝かしている。元気の素とはこのような事を指すのだろう。
最初の難関フリーハンドで文字を入れる
次の工程は、布に文字をフリーハンドで書いて行く。と言っても鉛筆で下書きをしてから、チャンティンという道具を使ってロウで書いていくようだ。
下書きがあるとはいえ、空間で文字を書くのは慣れていないとできない。
いよいよ、バティック制作の大詰め、染めの工程に移ります。
体験と言うと、意外に工程を省略してしまいがちですが、ここの工房は違います。まさに、良い思い出を残してくれる、誠実な仕事ぶりです。
ここの商品なら購入したいと思います。
染めの準備が整ったみたいです。
ここからは、バティックの職人技の工程です。
「さあ、染めますよ!」と広げて見せてくれました。
ここからは、染めの職人さんが担当します。少しずつ染めの色の深さを調整するように、何度か染めの作業をしています。
染めが終了すると、ロウ引きしたところが浮き出て見えて、ここまででもキレイです。
最初に作業したロウの部分を鍋に入れて溶かしていきます
ロウを溶かす釜に入れて、染めを定着すれば90%出来上がりでしょう。
この後、乾燥のためにアイロンを掛けてくれます。
懐かしい日本のミシン、シンガーでした
最後は、縁かがりのためにミシンをかけて出来上がりです。
日本のシンガー製ミシンでした。足踏みモデルですが、電動兼用に改造されて居るようです。相方の母親が使っていたモデルとほぼ同じだと喜んでいます。今でもアンティークとして、家に置いてあるので愛着はひとしおです。
いい体験をしました。
二時間ほどいたでしょうか、ウィノサストロの店内を出るとジョグジャカルタのキツイ陽差しを浴びます。ベチャモートルのドライバーがいる交差点です。交通量を見ながら、渡ろうとしていたら、正面から見慣れた姿が・・・。
つづく・・・
※(尚、当時ジョグジャカルタへは、アジスチプト国際空港(JOG)でしたが、現在ジョグジャカルタ新国際空港(YIA)になっております。:2020/3月頃より)
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