クメール遺跡ボロブドゥールの旅【4-1】Apr 28, 2016~May 04, 2016
カンボジアのアンコール遺跡に魅せられてしまったのは、もう3年も前だ。その1年前タイのフアランポーン駅から二等車に揺られてアユタヤに行ったのがきっかけになったのかもしれない。
「現地ツアーのロビー集合時間は何時だっけ」いつものように歯ブラシを片手に持って聞いてくる。
「7時ですよ」と私。
朝は、もう恒例となったトゥグ駅からの汽笛が聞こえてくる。4時30分を少しまわったばかりで、外はまだ薄暗いのに目が覚めてしまっていたので時間は十分にある。
『ここのホテルの朝食時間を気にしているらしい・・・』
「朝食食べて行くよね」と相方から、案の定という感じで聞いてくる。
「6時からだから、大丈夫、昨日より少し早くいこうよ」
ホテルのロビーからガラス越しに見える外は、朝の7時でさえ東南アジア特有の陽差しがまぶしい。ツアーのガイドさんが入ってくる。簡単な自己紹介があった。
「ブディーさん」が今日のツアーを案内してくれる。さっそく車に乗り込む。
現地のツアーは貸切でした。
ミニバンクラスのシルバーの車は、せいぜい6~7名の乗車が快適空間だろう。席について一息ついたところで、今日は私達の貸切だと知らされた。
タイのチェンマイからスコータイ遺跡のロングツアーも相方と二人だけの貸切だったのを思い出す。ツアーの内容は変更できないが、チャーターしたような感じである。
「ボロブドゥールへこれから向かいます。陽がまだ上がる前に行きましょう」かなりネイティブな日本語で話しを続けている。
日本人へのサービスとして気候の良い時間帯に観光しようというのは、ありがたい。
それらしい、遺跡群が車内から見えてくる。道も混雑する前だったのか1時間かかっていないようだった。
相方は、これまでのクメール遺跡巡りの経験から受付前の人だかりを想像していた。
「意外と人が少ないね!」
「これから1時間ぐらいで混み合いますよ。涼しいうちに見て廻りましょう 」とガイドさん。
受付の建物に入って行き、入場券を購入している。
入口の前は、同じ色のTシャツを着た団体が大勢集合していた。
「地元の中学生かな」と私が言う
「インドネシアの言葉というよりも、英語のようだし・・・地元の人が使う粘ったような音ではなく、なまりないキレイな英語に聞こえるよ」と相方が細かな分析をしている。
確かに、団体の受付の方は修学旅行と思われる多くの学生が集まっている。アジア圏の風貌でも聞き取りやすい英語が飛び交っているので、シンガポールなどの海外からだろうか。
遺跡内は公式のガイドが必要らしい
ここに到着する少し前、車内の会話のなかでガイドさんは、
「ボロブドゥール内のガイドは別の人になるかもしれない」と言っていた。
ボロブドゥールは、公式のガイドがいてその人を使うことになっているよう。しかし、各国の言葉に対応するガイドさんを頼むとなると、その場にすぐに待機していればいいのだが、日本語でガイドできる人はそんなに多くはないだろう。そうなって来ると待ち時間が気になるところ。
折角、陽の上がってきていない早い時間に来てもそこで時間を費やすにはもったいない。
今回のガイドさんは、色々な会社のガイドをしているそうで、そのままガイドをしていただくことになった。色々な事情があるのだろうけど、わかりにくいシステムである。
うがった見方をすると、観光VISAを緩和したために、ボロブドゥールなど観光資源で外貨の獲得を増やしているのかな、と思ったりする。観光客の入場料は、地元の人と比べて金額の差が大きくそのような場所が非常に多いからだ。
仏教遺跡の底力をここから見て圧倒される。この遺跡が長い間密林で守られ、時に火山灰で隠されてきたスケール感が一瞬にして理解できる。
撮影位置を示すと、Google Mapで示すあたりから撮った一枚である。
「これが密林に囲まれて隠れていたとは思えない」
来て見て良かったと、言いたげな相方の弾んだ声が響く。少しはねれて歩いている欧米人のカップルもその声が届いたのか、言葉の意味は解さないものの心境は同じだよ、と言う感じでこちらを見ながら笑顔を見せていた。
近づいて行くとその圧倒的な規模があらわになってくる。
相方は私より数段、世界遺産に対する造詣が深い。大学で学問として専攻したからだが、口癖のように「来て見なけりゃわからない」と実践主義を貫いている。
いかに効率よく見て回れるかを考えるのが好きなだけ
それに対して、私の方は去年より少しガイドブックに書いてある金額より高くなったとか、ここへはこのルートで行きたいとか、そのものの教養部分としてではなく、いかに効率よく見て回れるかを考えるのが好きなだけである。
相方と到達したい場所は同じだが、そのアプローチへの考えが違う。
今回も、ゴールデンウィーク中の限られた期間を使うので、ボロブドゥールの遺跡巡りだけなら、タクシーの一日チャーターという方法もあった。
ただこの遺跡群を有意義にまわってくるにはガイドが必要だっことも確かである。特に東南アジアのタクシーで他の国の言葉を理解する人は少なく、行く場所を説明するだけで精一杯な事が多い。
オプショナルツアーを使わないもう一つの方法
この旅行を計画したときオプショナルツアーを使わない方法として、こんな会話が相方とあった。
「ボロブドゥールの遺跡を中心に考えればいいんじゃない」と単純明快な答えを言ってくる。
『ボロブドゥールの知識はあっても、旅程とは全然結びつかないですけどね!』と思って無視しているとフト思いついたように、「確か、ボロブドゥールの中にホテルがあったと思う」と私が続けた。
遺跡内のホテルは満室、どれくらい前なら予約ができるの・・・
「じゃーそこ!」
「あのねぇ~」と言い放ったあとすぐにホテル予約サイトを検索。
『この時期空いていたら奇蹟だね・・・』と思いつつ”Manohara”とキーボードで打ち滞在予定期間のうち1泊毎に日付を入力するがすべて満室だった。
「ハイ、残念でした。気候が安定するこの時期の予約、いつぐらいなら空いているのだろう」と航空券も決まらないうちに、大いなる妄想を組み立てていた私と相方である。
レリーフに刻まれたラブストーリー
この回廊では、釈迦の誕生の物語のレリーフに注目しがちである。
数多くのレリーフパネルの流れのなかで、この遺跡内にあるホテルの名前がついている「マノハラの物語」はちょっとしたラブストーリーである。
釈尊が僧に説いたたとえ話と伝わっているそのレリーフ。主人公であるスダナ王子が天女マノハラと結婚し、やがて国境へ遠征にいくが、その間に宮殿に残っていたマノハラの身に危険が迫ってくる。そのため、故郷のヒマラヤ山中に飛んで帰ってしまう。(天女なので飛んでいくのだろう・・・)
スダナ王子は、遠征から戻ってくるとマノハラがいない事を知ってヒマラヤ山中へ追いかけていく。そこで独りの仙人と出会い、天女の国への道を聞く。その時、なんとマノハラは、スダナ王子が来たらこの指輪を渡してと仙人に頼んであったと言う・・・。
それがきっかけで、「7年・7ヶ月・7日」の旅の末にスダナ王子は、天女マノハラのもとに到着する。なんとも、輪廻(めぐりめぐって)再会するまでの一途なラブストーリーが完結する。
そんな物語のレリーフがあるボロブドゥールは何だか優しい気持ちになって来る。
レリーフで構成された第4回廊の次は、鬼面カーラの門から階段があり第1~第3円壇へ続いていく。中央にある大鐘仏塔(ストゥーパ)を中心して周りを取り囲む小鐘仏塔(ストゥーパ)、見学用に東西一つずつ、中の仏像が見えるように露出させてある。
小鐘仏塔(ストゥーパ)は、第1と第2円壇の模様が菱形で、上部の第3円壇になると、正方形となる。
大鐘仏塔(ストゥーパ)は、何が入っていたか今でも研究がされている。
「ピラミッドのように信仰の場とか権力の象徴、それとも埋葬?」と私は知ってる限りを言ってみる。
ボロブドゥールの遺跡は、まるで推理小説
「色々な説があったようだけど、わかっていないみたい。シャレンドラ王朝のうち50年の期間に作られたけど、その後無くなってしまって、1,000年以上見つからなかったからどんな細工が行われていたかは謎が多いよね」
「追求していくと、推理小説の犯人捜しに似た雰囲気になってくるなぁ~。円壇のある上段のところが無色界という事は、悟りを開いた人の安らぎの場所のような気がするけど、一番中心となる大ストゥーパの中身が判らなきゃ、ここまで登って来た意味がない」と勝手な言い分を言ってみる。
近くにあるムラピ山の火山灰に覆われた、政権(王朝)が崩壊したから埋めた説まで出てくる。そこには、大乗仏教の宇宙観があるように思う。
ここの大鐘仏塔(ストゥーパ)がある第3円壇に着き、登ってきた階段のある東側を見下ろすと見えて来るモノがある。ちょうど、山の山頂に到着したときの感覚に似たもの。無色界にはほど遠いかもしれないが・・・。
Google Mapsでみると直線上に・・・並んでいる
この次は、ムンドゥッ寺院へ向かう。
資料によれば、昔、このムンドゥッ寺院からボロブドゥールへ直線でつづく参道があったと言われている。今は無きこの道は、Google Mapsで見ると、パオン寺院をはさんで、一直線上にあることがわかる。
つづく・・・