山寺の階段を登りサイボーグ009に会いに行く旅【2】
作並温泉の夕食も朝食もおいしかったです。朝のチェックアウト時に渡された焼きたての「クロワッサン」は、旅路で大変助かりました。
今日これから山寺立石寺へ行く。もしコロナ禍でなかったら大勢の東南アジアの人が訪れる場所と聞きます。ここ作並温泉で働く人にもベトナムから来ていた人がいました。彼もまた、国に一時帰国などできない辛さがあるのだろうと思います。
配膳も廊下ですれ違う挨拶も日本人以上で、なれない日本語をはっきりとした音で表現するところは好感がもてました。
2020年1月にギリギリハノイから観光で帰ってきたから海外というよりも東南アジアの国々も渡航ができなくなりました。二回目のベトナムハノイが、最後の海外旅行になっています。
海外でホテルなどの従業員のなかに、私たちの日本語を聞くと日本で働いたことがあると会話をしてきます。そんな人達は、日本が好きと言ってくれることが何よりです。海外での緊張が緩む瞬間です。(※路上などで日本語で声をかけてくる人達とは違いますので・・・)
おしんが放映されたアジアの国々、山形の山寺を知っている。
JR作並駅、9時41分発の山寺方面行きに乗るために、ホテルには朝の送迎をお願いしていました。
日曜日とはいえ交通量も少なく10分もかからずに到着。作並駅と言えば日本で最初の交流電化区間の発祥地として石碑があります。
この先にある秘境駅でもある「面白山高原」まで仙山トンネルがあり、蒸気機関車が使えないため早くから電化されてきたという。また。山形から作並までは直流で電化されていたため、作並駅が交流と直直流の接続駅となったようです。
程なくして、快速山形行きが入線していました。
快速の仙山トンネルの通過スピードが速いので、トンネル内の面白山信号場おろかトンネルを出てすぐの面白山高原駅(※秘境駅としても有名)も一瞬で通過してしまいます。(別名で面白山トンネルと言われる方がわかりやすいかもしれません)
定時の所要時間20分で到着です。コインロッカーが多くあり置いていくことができますが、修行僧?らしくリュックは背負ったままで向かいます。
入口と書かれた待合室は冷房が効いていて下山後の電車を待つ時間は大いに助かります。
駅前通りを下りて行くと山寺ホテルが目に飛び込んできます。昭和初期の建物が外観がとてもきれいです。現在はホテルとしての営業はなく「やまがたレトロ館」としての資料館としての役割のようです。
本来なら、この駅前通りなどでは海外の言葉が聞こえて来てもおかしくない場所だと思いますが、日本人の良さでもある静寂さを保っています。
立会川に架かり高い所に居る神様が下りてきて橋を行き来していると言う「山寺宝珠橋」を渡り、いよいよ登山口へ向かいます。
東南アジアにおいても、仏教の人口の多いタイ王国、カンボジア、内戦で政情不安定なミャンマー、国民の半数くらいになりますが仏教寺院など建立などの多いベトナムなどの人達が主となって訪れていただろうと思う。
また、日本との共通点は貧困の世界から経済を立て直していく未来への希望が「おしん」というテレビドラマに共感を持っているのだろうと思います。
朱色が鮮やかな山寺宝珠橋をわたります。
さらに進むと登山口の手前には日枝神社の参道が見えてきます。
神仏混淆ー寺の中に神がいるのか、神の領域に寺があるのか!日枝神社への「鳥居ー①」
いよいよ1,015段とも言われる階段の入口が見えてきます。もうすでに、気温は上がり始めていて、スマホにも熱中症のアラートが鳴っています。
「名勝・史蹟山寺」の石の表柱が目印です。
階段をのぼり見えてくるのが、根本中堂です。法灯を灯し続けています。
根本中堂からの道のりにも日枝神社の鳥居があり、そこには御神木として「山寺の大イチョウ」で市指定の天然記念物に指定されています。
山寺の大イチョウー日枝神社への「鳥居ー②」
神仏混淆が明治政府によって禁止令が出てからは、山寺の守護神としてあり歴史からの風土に馴染んでいます。
神仏混淆の神様の領域から山門へ
親族に健康不安があると神頼みも心のよりどころを求めます。
亀の甲石は、延命・長寿の霊験があり名を記して小銭を包み、亀甲石の願意に置く。
こけし塚の横に鳥居がありここをくぐると神の域から離れることになります。
日枝神社「鳥居ー③」ーここをくぐると仏門の世界へ
「おくのほそ道」松尾芭蕉の立石寺、名句となっている
閑かさや岩にしみ入る蟬の声
が、刻まれた石碑とともに「俳聖 芭蕉」像と芭蕉の弟子である河合曾良の像もある。
その向かい側には「宝物殿」があります。
松尾芭蕉がここ山寺に着いたのは、旧暦元禄2年(1689)6月1日です。これを現代の暦に直すと7月13日、それから332年後の5日を過ぎた日に訪れたのですが、セミの鳴きが全く聞こえないのです。
比較的早く鳴き始めるセミと考えると、もうすでに時期が過ぎたのかもしれませが、それにしても全く聞こえないのは地球温暖化の影響があるのではないかと・・・この異常な暑さが余計に感じさせます。
修行の座禅や写経を行う道場でもある常行念仏堂。
鐘楼(しゅうろう)には、山寺の全体の案内マップがあり、見ているとその険しさを表す標高がなんとなくつかめます。
山門の受付で巡拝料を納めて、いよいよ、ここから始まるのだと気を引き締めます。
相方は煩悩がなくなるとヤル気が起きなくなってしまうので、欲は残しておいた方がいいと言います。すかさず私は、そう言うのが煩悩というのだとバカボンのパパの口調で返しておきました。
立石寺を登ると極楽浄土、霊場の入口。
ここからは、極楽浄土の入口です。この「姥堂」の下は地獄、ここから上は極楽という三途の川です。あいにく工事中なのが一層その意味を強調しているように思えてきます。
修行者の参道と言われるように、幅は少ないところでは、14cmの幅しかないと書かれています。
そんな場所を階段で示すとこんなところかなと思います。
参道を上から見るとこんな場所になります。
俳人壷中らが1751年建立した「せみ塚」が見えてきます。芭蕉の句をしたためた短冊をこの地に埋め石の塚を建立した場所です。ここでも、セミの声は聞けず。
しばらく階段を登っていくと、木々の囲まれた参道から青空が見えてきます。その先には仁王門が見えています。
仁王門を超えると、今までの日影を作っていた参道がいっぺんに開けてきます。同時に、陽は真上から降り注ぎ明るさを越えて眩しさに変わってきます。
このまま、急階段は続いていきます。
開山堂や納経堂へ向かう人が多いようでしたが、水分補給が必要なので奥の院方面へ登り「山頂売店」で一休みして英気を養おうと考えています。
開山堂・納経堂の方向には、あとで立ち寄ります。先に行く人達が多いように思えます。
階段途中から東の山すそを見ると、修行の岩場があります。もちろん、修行僧以外は立ち入ることができません。
このルートなら奥の院へ行ってから帰り道がいいのかなと思いながら、開山堂・納経堂、そして五大堂に向かいます。(山頂売店は後回しになりました)
開山堂から五大堂へ向かいます。
さらに東側に目を移すと赤塗りの小さなお堂が、写経を納める納経堂です。
慈覚大師の入定窟には、いろいろな説があるようです。キーワードだけ列挙しておきます。
●比叡山説
●三回の調査による特定、5号
●金棺の仏舎利・木頭
立石寺の展望台とも言える五大堂からJR山寺駅方面を望む、炎天下のなかで室内が作り出す日影と風の通りに心が救われます。
奥の院へ向かう途中に第11代当主で出羽山形藩の初代藩主の最上義光の位牌が納められている霊屋があります。
奥の院まで階段の段数で言えば50段を切ったと思います。下山をして来る人から「もう少し」と声をかけられます。通常の登山と同じ雰囲気です。
本尊は阿弥陀如来の中性院です。御朱印巡りの人もちらほらいます。
次は、頭華蔵院境内の横にある岩屋の中にある三重の塔がある三重小塔です。
開帳されているわけではないので、よく見ることはできませんがこのこまかな小ささは意外でした。
やっと目指して来た奥の院に到着しました。
ここに来たことで、一安心という感覚になります。煩悩が無くなったかと問われれば、疲労感という疲れを感じる方が早かったかもしれません。
標高417mの登頂点とも言える「奥の院」へ最後の階段を上ります。
横に移動して「大仏殿」の前へ
無事、到着できたお礼とこれからの下山の安全に手を合わせ、線香を手向けます。
山寺の登山口を出発したのは10時15分、奥の院に到着が11時30分、休憩を含めて1時間15分ほどで登ってきました。
下山をして、JR山寺駅発。上り仙台方面行き12時17分発になんとか乗れそうです。
これから、仙台市内にある「大崎八幡宮」へ向かいます。
それにしても、暑いです。
つづく・・・
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