クメール遺跡を求めて6年越しのシェムリアップへ【7】Apr. 29, 2019~May 06, 2019
観光管理所に待機してある4WDの車両に乗り換える、それがここプリア・ヴィヘアの儀式でもある。
「そんな事をする必要があるのか?」と乗車していると、チケットチェックポイントが現れる。坂道だが快適な舗装道路なので、観光アトラクション用の車両だと思っていたが・・・。
四輪駆動車に乗り換える理由。
駐車場のスペースに行くまでの最後のアップダウン。ここまでくると、このトヨタのTACOMA (タコマ)SR5の威力を感じる。
日本でもピックアップトラックとして、いまだに人気がある「ハイラックス」の後継モデルとして登場。
ひとまず、荷台で大きく揺すぶられながら何とかプリア・ヴィヘアの入口に到着した。
すでに到着して待っている車は、ボンネットを開けてエンジンを冷やしているのもある。それだけ、最後の3分程度の道のりが過酷なのが見てわかる。
プリア・ヴィヘアの案内図。
①は以前使われていたタイからの167段の石の階段。
②は日本のガイドブックのほとんどが「第一塔門」の表記で書かれているが、ここでは「Gopura Ⅴ」から絶景が名所になっている断崖付近の「中央祠堂」が「Gopura Ⅰ Main Gopura 」となっている。
歩きはじめると、空模様が不安定である。カンボジアと面するタイ方向を見るとスコールのような雨模様。1日くらいはこの時期なら雨にあたることもあると覚悟していたけど、もうあと1時間位は保ってほしいと願うばかりだ。
前回、シェムリアップに来た2014年5月は、まだここの場所は安全が確保されていなかった。
日本の外務省も「渡航の是非を検討してください」のレベルだったはず。
確かその年の12月には、日本でもその危険レベルを解除してこの場所にも訪れる事が可能になったと記憶している。
しかし現在でも、タイ国境側からはここに訪れる事はできない。
また、今でもタイの国籍の人は、カンボジアからも訪れることができないと言う。そのため、チケットのチェックやパスポート(コピー可)の提示が行われる場合があるのだろう。
ナーガに守られる第一塔門
この階段につつく第一塔門には、多くの寺院がそうであるように、両端に蛇神のナーガの守護神が置かれている。
第一塔門までの短い参道
階段を上ります。
この第一塔門まで、戦闘があったようで銃撃のあとが残っているようです。
振り返ると、このプリア・ヴィヘアが山岳寺院と言われる訳が理解できます。
修復中で残念な状態ですが、カンボジアの通貨2000リエル紙幣にもなっています。
その紙幣がこちらです。日本円で50円から60円位です。ドルを使っておつりでくることが多いので、意外と身近に感じます。
長い参道を通って第二塔門へ
第二塔門までは、この寺院で一番長い参道(約500m)を歩きます。
両端には大きなリンガがありますが、倒れてしまっているものも多いようです。
塔門へ上がる階段の手前には、大きな貯水池があります。
もう一つ、この寺院がここに建立した大切な理由がここにあります。この山には、この寺院を作るための材料の砂岩などがあり調達ができたということです。この山中に寺院を建立できた理由もこれで納得できます。
いよいよ、第二塔門の階段を上ります。その手前の大きな穴は当時は柱が立っていたようです。
出雲大社との共通点
話は少し脱線しますが、同じく世界遺産の出雲大社にも同じような場所があったのを思い出します。
このような仕様で思い出すのは、日本の世界遺産「出雲大社」のかつてあった大柱の跡です。たまたま60年に一度の5年間をかけて行う「御屋根葺替え」の最中の2011年に行った時の様子です。
60年に一度だけしか見ることができないので、小さなお子さんには「もう一度観られるチャンスがあるかな」と言って笑わせていました。年配者のなかでも今回が二度目の方は、なかなかお目にかかれないようでした。
古代神殿は高さ48mの位置に作られて、その「心御柱」があった場所が上記の写真です。木製の太い柱を三本を束ねた状態は、「島根県立古代出雲歴史博物館 」の模型を見るとわかりやすいです。
もう一つ、「出雲国風土記」の最初の方に「一意宇郡」章、最初の部分に国引き神話と言うのがあって、国が小さいから「国々來々(くにこくにこ)」と引き寄せた話があります。この綱引きの杭を現在の大田市にある三瓶山に打ったとあります。
講談社学術文庫は、サイズの手軽さが気に入っている。
「乳海攪拌」のレリーフが残る第二塔門へ
階段を上りきりさらに石段を登ると第二塔門が現れます。ここは比較的レリーフがしっかりと残っています。
第一塔門同様に十字型で構成されているので、周りをぐるっと一周してみる。
ここのレリーフは見事に残っているのは感心する。いよいよ、第三塔門へいく参道に面した壁面に「乳海攪拌」のレリーフがあるはず。
近くまで寄ってみると、綱引きで海をかき混ぜる「乳海攪拌」が描かれている。
歴史に翻弄されたプリア・ヴィヘア
アンコール王朝を滅ばしたとも言えるタイアユタヤ王朝。カンボジアとタイは陸続きであるがために、その時代の強い者が実権を握り領土を掌握してきた。
1975年のクメールルージュによる鎖国。国境の閉鎖である。
そして日本が初のPKOを発動して1992年UNTAC (国連カンボジア暫定統治機構)により1993年4月から6月まで総選挙が行われた。
このときひとりの若い日本人が銃弾に倒れている。
それを意図して介さないポル・ポト派は辺境の地で支配し続けたことで、この寺院は再び閉鎖されてしまう。1995年からポル・ポトの死が確認だれるまでの間再び支配されていた。
2008年カンボジアの世界遺産登録が認められたが、その領土をめぐって軍のにらみ合いが続く。一度は、タイ側からもこの寺院へ来ることがでくるようになったのもつかの間、2011年この寺院をめぐって再び交戦状態になる。
日本がここを訪れるには、何かとタイミングが合わない。世界遺産へ登録される前の領土不確定要素があったタイミングとか。2011年の前の2010年頃とか・・・。
2013年11月のカンボジアとタイの間で帰属未確定地域の確定(カンボジア領)となった以降で、日本の外務省が許可した2014年12月以降~現在まで。
というところだと思う。
第三塔門の階段を登る。
第三塔門のレリーフが目に入る。怪力の持ち主「クリシュナ神」が山を持ち上げる様を描いたレリーフが目に入ってくる。
ここに来て天候が不安定になって来ました。雲の流れが先ほど、スコールをもたらしていたタイから流れてきています。
ここから、第四塔門へは、横をまわっていきます。
第四塔門の参道から振り返ると、ナンディンに乗るシヴァ神のレリーフが目に入ってきます。なかなか状態がきれいです。
第四塔門から中央祠堂(第五塔門)へ
ナーガの欄干で始まりナーガで終わる塔門です。
さらに奥に進んで行きます。
祠堂内では、占いをやっているのか人の気配があります。
見学順路に従って、第五塔門へ向かいます。
屋根の部分もそのまま残っている遺跡は、なかなかないので感動です。
世界遺産の登録されている遺跡らしくかなり見応えのあるところでした。時期は遅くなりましたが、思い切って来て良かったです。あと1時間位は遺跡周辺を見てまわっても良いくらいの価値があるように思います。
きれいなままレリーフが残っていたのでカメラにおさめておきます。
カンボジアを一望する断崖へ
もしかしたら、プリア・ヴィヘアは遺跡よりもこの展望を求めて来る人が多いように思えます。
足がすくむほどの切り立った崖になっています。基本高所恐怖症の私と相方は、まわりの人が楽しんでやっているジャンプしての撮影など、もってのほかです。先端近くで記念撮影しましたが、顔が引きつっていたのは事実です。
目的を果たしたところで、ここダンレック山の下山です。帰りは専用の順路があるようです。
ポツポツと雨の粒が顔に当たります。
これから、降って来そうな気がします。雨に当たらずに見学できたのでラッキーでした。
山を4WDで下る時、雨あしが強くなって来ました。それでも車を乗り換える観光管理所付近ではすでに雨は上がっています。ただ、山を見上げると薄らとガスがかかったままです。
シェムリアップへの帰り道はすでに、雨のあともなく日が沈む準備をしています。
このプリア・ヴィヘアの遺跡は、旅の目的でもあったので感慨深いものでした。ここは、悲しいことに、こんなに自由に行き来する事が許されている時間の方が少ない遺跡との印象です。
カンボジアに来たら「アンコールワット遺跡群」も菅らしいですが、時間が許すなら「プリア・ヴィヘア」をオススメします。
AmazonのPrimeビデオで「カンボジア:アンコールワット」を会員なら無料で視聴できます。カンボジアに観光するなら44分間のこのオンラインビデオを見て渡航すると理解がしやすいです。
Amazon Prime会員でなくても、無料体験があります。
大きな画面で見るなら、TVの。HDMI端子対応のテレビに挿し、Wi-Fiにつなぐだけで見ることができます。4K対応でサクサクとなりました。
明日は、アンコール王朝前にクメール王朝として栄えていた「ロリュオス遺跡群」をチャーターしておいたトゥクトゥクでめぐってみます。
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