2回目のハノイの旅【6】前黎(レ)朝から昇龍(タンロン)へ遷都そしてフエ
Dec 29, 2019~Jan 04, 2020
シティツアーバス(黄バス)に乗って気づいたのですが、ホアンキエム湖近くでは便利だった「スーパーマーケット」が無くなっていました。ちょうど建物は解体されていてそのフェンスにはホテルの建設の予想図が書かれていました。
シティツアーバスの停留所の目の前ですので、ホテルができれば便利でしょうね。また、ハノイでは、イオンなども含めて大型のスーパーマーケットがたくさんできているから、経済が大きく変化してスタイルを変わったようにも思えます。
ハノイ大教会前の今
一見、旧市街を見ると景色の変化はあまりなく、海外からの観光客は異常に増えているように思えます。クリスマスから新年の時期だからなのか、それとも時間?。ほとんどの人が遠くから教会を入れたスナップ写真や自撮りでした。
その時の写真です。自撮り棒もまだ少なく、ここで独りで来ている観光客に頼まれてシャッターを切った記憶があります。
近くのホテルなので、何度かこの(ハノイ)聖ヨセフ大聖堂 前を通りましたが、人はまばらです。日本のゴールデンウィーク期間は、ベトナムでも数少ない国民の連休となるので首都ハノイの街も賑わっていてもおかしくはないのですが・・・
今回、わざわざ古都ホアルーやチャンアンという前回と同じところへわざわざ足を運んだかですが、その時はいささか消化不良気味で戻ってきてしまいました。
記憶に残ったこと、写真に残したことなど、ベトナムの人達も多くうんざりしていた記憶があります。世界遺産に登録が決まった時は、日本でも同じような状況になるので、特別な事ではありませんが・・・
もう一度ハノイへ行こうと思ったきっかけは、カンボジアのシェリムアップの旅を、二回行ってみてアンコールトムやアンコールワットを見直す機会だった気がします。
私の場合は、一回目に行った記憶を頼りにもう一度行くことで、深いところまで記憶を呼び覚ますようです。
二度目のチャンアン、珍しい足漕ぎのボートが無くなっていた。
前回は、世界遺産に登録してまもなくチャンアンへ出かけた。陸のハロン湾と言われ手漕ぎのボートで周遊すると言うので興味が沸いた。当時数少なかった観光情報のなかに、そのボートを器用に足で漕ぐというのがあった。
フットストロークを使った船体は、思った以上に推進力がありその器用さに驚いた。
ボートが並んでいるのは前回と同じような風景が広がり、ボートが随時でていく。
今回は、洞窟をいくつかくぐり抜けるため、ボートの救命胴衣以外にプラスチックのヘルメットの着用が厳守だった。
前回よりも遙かに長い約二時間のボートクルーズでした。これは漕ぎ手となる船頭さんは大変な重労働であることは間違いありません。乗船者用にもオールが用意されていますが、気ままに漕ぐ程度ですから、労働が楽になるわけではありません。
洞窟では、何度も頭を屈ませて通過していきますが、撮影に夢中になっているとヘルメットにコツンと当たります。
こんな感じで洞窟に侵入していきます。先が見えているので余裕です。
洞窟内は曲がりくねっていて、船頭さんの巧みのコントロールがさえてわたります。
ここのカルストの地形は、世界遺産のなかで「自然遺産」に該当します。奇岩と言われそうな場所を写真におさめてきました。
そろそろ終盤に近づいてきました。
陸のハロン湾をチャンアンのイメージすると、ボートを漕ぎだして30分ほど経過した最初の方の景色かなと思います。
2時間を独りでこぎ続けます。
下船して、昼食を取ります。食事の内容は違っていましたが、ここエリアではここだけなのかと思うくらい同じでした。世界遺産ですから、もう少しバリエーションの店舗があってもいいのではと思います。
ハノイ(タンロン)へ遷都される前の都ホアルーへ
午後から行く「古都ホアルー」は「文化遺産」として登録されていますので、世界遺産のなかでも異色な自然と文化という遺産を持つ「チャンアンの複合体」として成り立っています。
前回は5月という酷暑の季節でしたので、日差しが強くなる午前中にツアーが組まれていました。
そのような季節は、午後からリバークルーズする方が、涼しいからだと思います。洞窟はひんやりして気持ちがいいです。
また、2020年の出来事ですが、先日blogの編集中に、この古都ホアルーのあるニンビン省は、「千年の都ホアルー」をテーマとした2020年の国家観光年を主催する地方に選ばれました。
古都ホアルーはかつての封建時代に3代にわたる丁朝、前黎(レ)朝、後李(リ)朝の都として栄えたとされています。ベトナムの声放送局の外国向け放送のVOV5チャンネルによると「古都ホアルーは国の特別文化財」として認定されました。(2020年1月22日記事より)
現在はハノイが首都ですが、その前がニンビンにある「ホアルー」でした。
語弊があるのを承知の上で、日本で言うなら現在の東京(江戸)の前の京都との関係のようなものと理解すればわかりやすいかもしれません。
この東門の前で、前回多かったのが写真撮影です。
歩いて入るのを勝手に撮影していく。観光のスタイルとしては、日本でも観光地で昔からあるスタイルですが、帰り時間までに人を特定しておいてツアーバスに乗り込んできてプリントアウトした写真をカバーをつけ売り込みするのだからさすがでした。
少ない人数ならわかりますが、何百人といてカップルや夫婦、グループを特定して売りにくるパワーがすごかった印象が残っています。
しかし、今回はさすがにいなかったので安心です。天候も曇り空でどんよりしているので、ベトナム三角帽子「ノンラー」を売る人達もいませんでした。
以前に比べて観光地らしくなっていると思います。
お子さんがいるファミリーに、子供を乗せたポーズで写真を撮るのが人気で引っ張りだこでした。
前回は、世界遺産に登録されて1年余り、多くの観光客が訪れていて、特に団体ツアーが多く、写真を撮っても人ばかりでした。
海外からではなく、地元ベトナムの人もマイカーなどを使ってきているようでしたので、この施設の規模から言ってもオーバーユースで余裕がないような印象を持っていました。
見所は、ディン・ティン・ホアン祠と二代皇帝レ・ダイ・ハン祠の二ヶ所で、時間で言えば1時間くらいで十分な場所です。
折角なので古都ホアルーの奥深さを探して見る。
丁(ディン)朝は、968年~980年の12年間、ディン・ティン・ホアン即位していたと言われています。その王朝が建立されていた場所がこの「祠」のあたりだと言われています。
直線美が美しい参道です。シンメントリーが安心感になるようです。
赤いレンガ敷きの通路で整備されている。
中国の影響が強いので漢字で書かれていますが、ベトナム語でした。かつて漢字文化圏でありましたが、近年、ベトナムの若い人は、現在の「クオック・グー」のみで漢字を理解する人が少なくなっているようです。日本語のガイドさんも、漢字で書かれたベトナム(Tiếng Việt)語は理解できないと言っています。
標柱に目をやると縁起のよい鳥を配置しているのだろうと思う。鳳凰とかガルーダという感じだろうか。
初代皇帝のディン・ティン・ホアンは、その宮廷の反乱と裏切りにより命を落とします。これまでの中国支配の影響を少なくするために、あえてここホアルーの地に都を定めたというのに・・・。
比較的、気温がちょうどいいので、このような見学スタイルには最適です。前回は、5月だったので、日差しも強く熱中症の対策で熱さまシートやミネラルウォーターで水分補給など暑さに余念がなっかったです。
中央の祠の前には、龍の形の彫られた欄干が両側にあり、通路となっています。(ここは通れません)ドラマ「Dr.コトー診療所」主題歌にもなった「中島みゆき」さんの「銀の龍の背に乗って 」を思いだしました。
横から見ると、スケール感がわかります。
この赤いレンガ部分をアップにすると、日本の家紋のような図柄が描かれている。(このような彫ったものを文様塼(せん)というようです)
初代の皇帝が3人の子供と共に毒殺されているのだから、悲運というしかないです。この祠の中央には、ディン・ティン・ホアンがいて、左右には3人の子供の木彫が置かれています。
子供達に見守られながら中央に祀られています。
また、皇帝の母を祀る祠には、両側に龍が彫られた看板があり、その土台として彫られているのがヒンドゥーの神に出てくるような「ガーラ(あっかんべー)」で、もしそうだとすると「出入口」を守る守護神として祀られている妄想にかられてしまう。
毎日新鮮な果物が供えられているのだろう。また、らせん状に巻いた線香が印象的です。
初代の丁(ディン)朝の後を継いだ二代目皇帝「レー・ダイ・ハン」祠に行く途中にある「ディン・ティン・ホアン祠」配置図です。城門(東門)から入った場合、北門までの途中にある方がわかりやすいような気がします。
この看板の後ろ側は、水田が広がっています。のどかな原風景を見せてくれます。
この石碑の年代に「968ー2018」と書かれているので、二年前に作られたものだろうと思う。
確か2015年の5月に来たときはなかったはず。また、後ろに広がる水田は、前回、稲の刈り取り前で緑色で覆われていたのとは大違いです。
979年に暗殺されたため、丁(ディン)朝は滅亡してしまします。二代目の皇帝となった(980~1009)レー・ダイ・ハンは、ディン・ティン・ホアンのお妃と結婚していて引き継いだ将軍とも言えます。(ということは再婚?)
中国の侵攻は、ベトナムの政情が不安定なこともあり(ディン・ティン・ホアンの6歳の息子を即位させたことによる)大軍を送り込みますが、それを撃破するような活躍みせ国を守ります。
また、現在のベトナム中部のチャンパへも侵攻して軍事的な圧力を強めたりしたが、わずか在位(980~1009年 前黎(レ)朝)は、24年で終わります。
ベトナムでは、常に右側から入るそうです。手前には、ディン・ティン・ホアン祠でも見たドラゴンベットの彫刻があり参道の左右を分けます。そのため、手前の彫刻部分と合成してあります。
チャンアンの奇岩をみているので、ニンビンの名産かもしれません。
本殿手前の門には、輿(こし)が保管されていました。ここにあるので、本殿前には置かれていないだろうと想像できます。
二本の長柄の先端には龍が描かれています。
レー・ダイ・ハン祠の本殿前です。
門を入り近づくと屋根の中央にある飾りがはっきりとしています。
2015年5月に来たときは、修復中でした。
ここでも観光写真撮影を狙って追いかけて来ていました。
当時は結局、帰りの車内に来て出来上がった写真を販売していました。僅かな金額だったので購入することにしましたが、滞在している1時間ほどで、プリントアウトした写真を、本人を特定して持ってくるあたりは、さすが行動力+実践力が備わっていると感心してしまった、とメモ書きに残ってました。
本殿前の中央には、皇帝用の通路があります。
前回の訪問時に輿はこのように使われていました。
本殿に入ると、中央に「レー・ダイ・ハン(黎大行)・・・(霞んでますが)」がいます。ここでの主役は写真の左に映る第3代皇帝「レ・ロン・ディン」でしょうか。
レ・ロン・ディン(黎龍鋌)は、暴君で知られていて民を統一することもできず宮中における人の心は離反していきました。
前黎(レ)朝が終わる1009年、政変で殺害されたと記載(中国の宋時代980年からの通史として編纂された歴史書「続資治通鑑長編」による)されています。
昇龍(タンロン)へ遷都する、阮(グエン)王朝の「フエ」が首都に
その後、現在ハノイにある世界遺産「タンロン遺跡(旧ハノイ城)」に移っていき1010年「李(リ)朝」の時代となっていきます。
その後、中国の「明」に明け渡したりしているが、タンロンを中心とする政治は、長く安定していきます。
その後、阮(グエン)王朝となり、ここで初めて現在の国名の「ヴェエトナム(越南)」となりました。
さらにベトナム中部にある「フエ」に都を移すことになります。
「ベトナム民主共和国」の誕生からベトナム社会主義共和国へ
その王朝は、144年続きますが「ベトナム民主共和国」の誕生により、1946年ふたたびハノイが首都に返り咲きます。さらに、近年記憶に新しいベトナム戦争が1975年、ベトナム社会主義共和国を宣言し、ベトナム全土を掌握する現在の首都「ハノイ」になっています。
ベトナムが南北に細長い地形のなかで、はじめは世界遺産であったり遺跡巡りであったり興味の大半はその方面のことばかりに注目して訪れていました。
その歴史と人物をあまり考えず旅行していたのも理由ですが、歴史的な建造物を訪ねていくと国の始まりが見えてきます。
今回は面白い旅の一日であったと思うのは、これまで訪れた中部の貿易拠点のホイアンやダナン、南部は、ベトナム最大の商業都市ホーチミン、リゾート色が強いけどチャンバ王国の遺跡が近くに点在するニャチャン、そしてベトナム食の安全の中心となる有機野菜工場のダラットなどなど、ベトナムが何度も訪れたくなる要素がいっぱいの国だというのを再確認できました。
ベトナムの経済は、どこまで伸びていくのか!
今回のチャンアンへ向かう道すがらコンクリート(セメント)で財を成し、御殿を作った人の家をみる機会があった。地元では、まわりを見渡してもみることができない城風の建築で、ディズニーランド?と言われているそうです。
また、チャンアン&ホアルーへ向かうにはハノイの「新市街」を通るのだが、そのセメントで財を成すことができるほど高層ビルや高層マンション、ショッピングセンターがなどが何棟も建ち、明らかに日本の経済より成長しています。
コンクリート産業が、経済発展の柱になったとしても不思議ではないし、そのようなマンションも外国人からすでに自国民のベトナムの人が住み始めています。
日本が最近行っている海外旅行者のインバウンドに頼る経済政策は、これまでの発展途上国が外貨を獲得するために行ってきたことだと思います。
・・・日本がこのまま海外のインバウンドだけを経済政策にすれば、今後「後進国」へ向かうだけです。智恵と技術を世界に売るのを考えなきゃ。
ハノイの旧市街だけ見ているとわからないベトナムの経済力が、こんなところで見つかります。
日帰りのツアーの中でもオススメの訳は、手漕ぎボートのクルーズは、一度体験しておきたいものです。何といっても二回目のハノイ旅行でまた、乗ってしまったくらいですから。
モバイルの通信状況は、「VINAPHONE(mobifone)」SIMでスマホ2台「Vietnamobile 」SIMでiPad Proを持ち歩きましたが、郊外の道路やチャンアンのボートクルーズでは圏外にはなりますが、他のレストランや古都ホアルー観光内などで困ることはありませんでした。
ベトナム国内の電話ができる通話付きのSIMカードもあります。オプショナルツアーなどで迷子になったときなど連絡が取れるので安心です。
速度が速いかとか大量のデータ通信が必要という場面ではないので、使う用途で感じかたの違いはありますが、私としては十分な状態でした。
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