洞爺湖にある有珠山フットパスを歩くーその1 | テクテクと。

洞爺湖にある有珠山フットパスを歩くーその1

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一泊二日の洞爺湖の旅 June 15,2019~June 16, 2019

今年は、海外いけないようなので、昨年行った、ちょこっと変わったツーリズムの体験です。

普通の観光は楽しくないので、北海道民ならではの、洞爺湖周辺の楽しみかたでもあります。歩くのが嫌いな人には向かないと思います。

今回、有珠山のフットパスを歩いたのですが、それが完成する前にその概要を知ることになった「エコツーリズム大会」に以前参加したことで記憶に残っていました。

全国エコツーリズム大会in洞爺湖体験エコツアー-2008年10月4日撮影

全国エコツーリズム大会in洞爺湖体験エコツアー-2008年10月4日撮影

2008年10月3日~10月5日に行われた「全国エコツーリズム大会in洞爺湖」で、有珠山に入山したとき(エクスカーション-体験エコツアー)の写真です。当時の参加パンフレットによれば「火山と共生する持続型地域づくりへの挑戦」というのがテーマでした。

全国エコツーリズム大会in洞爺湖 PDFファイル

エクスカーション(体験エコツアー)は、普段立入禁止場所への許可され全員ヘルメット姿です。

エクスカーション(体験エコツアー)は、普段立入禁止場所への許可され全員ヘルメット姿です。

この頃2008年を振り返ると、洞爺湖サミットが開催されたりしてこの地域は、話題を集めていました。一気にインターネット光回線が進んだのも印象的です。

この洞爺湖周辺、ガイドブックが書かない?・・・巡り方

有珠山といえば、私のなかでは、1977年(S52)の噴火や2000年の噴火が記憶に残っていいます。77年は、札幌まで火山灰が降灰し、二次災害として土石流による死者が3名でました。

2000年の時は、火山性地震の予知と周辺の人達の火山との地域の共存が理解されて、噴火前に避難行動が行われて死者が出なかったのが印象的です。

火山と共存している地域で、有珠山とともに「昭和新山」の誕生も見逃せません。一番詳しいのは「三松 三朗著・火山一代 昭和新山と三松正夫」が詳しいはずです。

火山一代 昭和新山と三松正夫

火山一代 昭和新山と三松正夫

出版されたのが1993年なので、2000年の有珠山大噴火について書かれていませんが、20年~30年の周期で噴火するすると言われ、この地域に住む人々が火山と共存して暮らしていく意識を培った事で、事前の避難により犠牲者が1人もでなかったのです。

最後の噴火から20年経っています。今後数年間でいつ噴火してもおかしくない状態とも言えます。このときの万全な予知と現在のハイテクでは、人が関わらないデータ観測に移行した今本当に人の命を守れるのかが課題になっているように思います。

洞爺湖の湖畔から最初のフットパスである「西山山麓火山散策路(北口)」へ向かいます。

洞爺湖の中島を見えています。

洞爺湖の中島を見えています。

一度入口を通り過ぎて、あぷた(虻田)「道の駅」でちょっとだけパワーアップします。

11万年の味「ジオたまご」

11万年の味「ジオたまご」

いよいよ、洞爺湖有珠山ジオパークのなかの火山の威力をまざまざと見ることができる「西山山麓火山散策路」です。

駐車場は、色々ありますが無料の駐車場に車を止めます。

無料の「西山山麓火口 北駐車場」の前にある、この先、「洞爺湖展望台駐車場」の案内板

無料の「西山山麓火口 北駐車場」の前にある、この先、「洞爺湖展望台駐車場」の案内板

この無料駐車場がありますので、そこに止めるのがイイと思います。また、洞爺湖展望台に方面にいき、有珠山金比羅火口群(有くん・珠ちゃん)を見るために歩いていくなら、「洞爺湖ビジターセンター・火山科学館」側から行くのがイイと思います。

西山山麓火山散策路(北口)

西山山麓火山散策路(北口)は、周遊ではなく往路・復路で同じ道を使います。

西山山麓火山散策路(北口)は、周遊ではなく往路・復路で同じ道を使います。

車が二台あれば、一台を南口に置き、西山山麓火山散策路(北口)~西山山麓火山散策路(南口)の縦走ができます。

この建物が、ここの入口になります。

無料ですが維持管理のための協力金を出します。往復の所要時間などを教えてもらいます。

無料ですが維持管理のための協力金を出します。往復の所要時間などを教えてもらいます。

ちょうどここから右手を見ると、従来の道路(旧国道230号線)が陥没して沼になってしまっています。一時停止の標識と押しつぶされた車が、その威力を感じさせます。

暫く登っていくと、道路のうねりが出てきます。

写真では、その高低差はわかりにくいかもしれません。

でも、この道路(こちらは町道でした)がこんな状態になってるのをみると、その規模の大きさが実感できます。

これを見ると先ほどの道路のうねりのパワーがわかります。

これを見ると先ほどの道路のうねりのパワーがわかります。

これは「町道を横切った断層」という説明がありました。

法定速度50km/hの標識と折れた電信柱。

法定速度50km/hの標識と折れた電信柱。

第1展望台からは、大きな火口が見えるのですが、木々が生い茂っていてわかりにくいです。

まだ、地熱が残っているところがあるようです。木製の階段は、今日のように晴れていて地肌が乾燥しているときは問題ないのですが、ひとたび雨が降ると路面が滑りやすくなります。下りは特に注意です。

地面はまだ温度が高いところがあるようです。木道に張ったロープ外に出るのは厳禁ですね。

地面はまだ温度が高いところがあるようです。木道に張ったロープ外に出るのは厳禁ですね。

この木道で、腐れ防止としてコールタールを塗っているところがあります。特に温度が高い時は、溶け出して独特の臭気があります、衣服の汚れや靴汚れにも注意です。

第2展望台を下っていくと

この第2展望台を下っていくと、このときの被害の大きさがわかります。

この第2展望台を下っていくと、このときの被害の大きさがわかります。

パネルでは「人里で火口が開き断層が動いた」と説明があります。

これから通るところを見て、1人も死者が出なかったのが不思議なくらいの光景です。パネルを読むと「まさか」という印象を今の現在地からは想像もできません。

木道を下っていきます。

木道を下っていきます。

こののどかな風景が、想像もしない情景に変わっていきます。

この丘陵地は豆畑でした。

この丘陵地は豆畑でした。

破壊されてしまったお菓子工場でした。

一般の住宅だったようです。

このリアピラーのエンブレムから「ケンとメリーのスカイライン(C110系)」の4ドア仕様です。

火山の噴石が降り注いだ一帯

この一帯は、特に噴石が多く降ったようなので被害も大きかったようです。

こんな大きな隕石が人に降り注いだらひとたまりもありません。

こんな大きな噴石が人に降り注いだらひとたまりもありません。

この時の火山予知と住民の事前の避難行動が、ひとりの犠牲者を出さずにすんだのは、火山とともに暮らす人々がいかに訓練されているかを実証しました。

当時のままの幼稚園の看板でしょうか、順路を示す真新しい案内板とのコントラストが鮮明です。

順路表示から「旧とうやこ幼稚園」の園内へ

順路表示から「旧とうやこ幼稚園」の園内へ

目に飛び込んでくるのは、「道南バスの車両」と屋根を突き抜けている無数の噴石の跡です。

この火山爆発のすさまじい傷跡が後生へ伝えるのだと思います。

幼稚園バスと「とうやこようちえん」バス停留所が寂しく寄り添っています。

建物の損傷も噴石により甚大です。

ジオパークのパネルには、「噴火で石がたくさん降り、地面が動いた」とあります。
室内から噴石の跡を見るとより一層威力がわかってきます。

室内から噴石の跡を見るとより一層威力がわかってきます。

大きな噴石は、屋根で止まることなく、天井の鉄筋も破壊して室内に入ってきています。

ここで、この散策路の南口に抜けられます。同じルートになりますが、復路を戻ります。

そこから、洞爺湖湖畔沿いにある「洞爺湖ビジターセンター・火山科学館」へ向かいます。

その2につづきます。

今回、北海道の観光がインバウンドのマスツーリズムに頼っていた姿が、新型コロナウイルスによる観光収入の減少があります。当時は大型の観光バスが優先されて、地元民が自家用車で行くと、駐車場に悩み、さらにその料金も法外な金額が提示されていました。

国内消費とか地元の人のサービスの向上があればまた違っていたかもしれません。たとえば、GWなどで北海道から国内旅行を5日間ほどしようとすると、明らかに海外旅行よりも高額です。

さらに、東南アジアを例にすると滞在期間の食事代も国内の3割以下で、しかも衛生的な環境で楽しむことができます。今後は、著者が言うように、それぞれの「旅行者の満足度を高め、地域が観光の利益を実感できる」街作り、が主題になって来るように思います。

オーバーツーリズム: 観光に消費されないまちのつくり方」がエコツーリズムと対局していて考えさせられます。

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