盛岡八幡宮と盛岡城跡公園
盛岡八幡宮には、今日「子供の日」とあって、多くの家族連れが訪れていました。
まずは手水舎からです。
この少しだけ開放されてきた手水舎を見て、泉谷しげる氏の「春夏秋冬」の歌詞を思い出しました。
長く険しく強いられた新型コロナ対策が令和5年5月8日以降に5類に移行します。
季節性インフルエンザと同様の扱いになるということが4月27日発表されていました。
神社にとって、この手水舎が一番影響を受けた所のような気がします。
5月5日子供の日の神社
盛岡八幡宮の「お宮の一生もち」は、1歳の幼児が一升餅を背負うことで「一生食べ物に困らない」ようにという行事です。
こんな大きな会場でできる事は愛情を一杯に受けているのだろうと想像できます。
私も幼児の頃には、場所が違えど一升餅を背負わされ餅に潰されて喘いでいる写真があった記憶がある。一応、確かに食べ物に本当に困ったことがないので、その時の御利益が、いまでも続いているのかも知れません。
今おかれている現実としては、商売繁盛などの神様に引かれているのは俗な人間なんでしょう。
相方は、当たりでもらえる「特大の目出鯛」ねらいで鯛釣り堀おみくじに挑戦です。
本殿でお参りします。
そろそろお昼をまわっています。盛岡城跡へ向かってそのまま駅に戻る予定でいます。
鳥居をくぐり「宮古街道」を真っ直ぐ進みます。
盛岡城跡公園へ
不来方(こずかた)の地に築城された盛岡城は、明治維新以降の廃城令によって取り壊された一つです。
石川啄木・宮沢賢治がともに盛岡尋常小学校の出身でありその資料を集めたところで、この建物は、旧第九銀行本店本館で国の重要文化財に指定されています。
毘沙門橋手前は、歩行者用の遊歩道になっています。その路面に現れた「だんご石」?って何に!
川の方をのぞいてみると、これのこと?という石があります。
2つは、川面から顔を出していますが、一つは、何か大きな面を作っている岩が水面から少し沈んだ位置に見えます。川の水の透明度がよくハッキリと見えます。
「だんご石」というくらいなので、あとで少し調べてみたらこの中津川の護岸工事において、撤去する予定がまったく動かなかったと言われている記事を発見しました。
それを工事としてそのままにしているという事なのでしょうか?この盛岡には、多くの巨大な岩(石)が名所になっています。川が三方から流れる地形が自然に作り出しているのかもしれないと想像します。
橋を渡り、城跡の方へ進むと宮澤賢治の歌碑があります。
『宮(澤)賢治「岩手公園」』の碑の説明には、この詩の中に登場する「タッピング」は、バブティスト教会の牧師の名で、実際の詩では「タピング」と書かれています。その夫人がけは「ミセスタッピング」となっているのも理由があるのかな?
盛岡城跡は、石組みが綺麗に残る本丸から二の丸へ進んでいきます。
三の丸方向へ足を進めると、石川啄木の歌碑がある。
この詩ですが、『一握の砂』の「煙 一」掲載され『教室の窓より遁(に)げて ただ一人 かの城跡に寝に行(ゆ)きしかな』に続く詩として書かれています。
授業をサボって盛岡城跡の草むらで寝そべっていると、気持ちが空に吸い込まれていく、15才の自分の心。
何もかもうまくいかない時の心情のような、青春時代の一度は通ってしまう心の葛藤かな。
そろそろ盛岡駅に向かうようにします。ただ一つ気になった大きな石があります。神社の境内があるこの下からこの高さまであるように見えます。
盛岡城跡公園を降りていき、烏帽子岩がある櫻山神社へ行きます。交通量のある国道106号線が境内の入口のようです。
実際は中央通の県庁前の信号から鳥居が続いているので、その方向から訪れる人が多いようです。
肝心の烏帽子岩はと言うと、車の駐車場側に構えていました。
予想に反して、石垣が組まれていてそこからの高さでしたが、その下には一回り大きな石の上にのっているという二段構えでした。
東北新幹線は秋田新幹線「こまち」を連れてくる。
いよいよこの東北ぐるっと旅も終了です。
亀が池の前を通って盛岡駅に向かっています。その通りは「大通り」といいメインストリートになっていました。
盛岡駅では、この新幹線両車の切り離し作業が行われます。
その後、秋田新幹線は2分早く盛岡駅を出発して行きます。
ここで、東北新幹線単体となった列車は、新函館北斗まで北海道新幹線となり乗り入れます。
新青森~新函館北斗-北海道新幹線は1時間あまり
新青森駅を出発すると約1時間で新函館北斗駅に到着します。
えきねっとの予約では、新幹線はeチケットで乗車しています。
在来線は、従来通り乗車券が必要になりますが、ここまでモバイルでタッチ認証しているので、シームレスにスマホだけで乗り換えできると便利だと思えてきます。
盛岡で