世界遺産の三内丸山遺跡
Appil 30,2023~May 05,2023
縄文時代のムラを形作る遺跡が屋外に整備されている。美術館から徒歩で向かうと坂道を登るので、バス停ひとつといえど時間を合わせる方がいいという人も多いと思う。相変わらず、歩きで三内丸山遺跡センターがある建物「縄文時遊館」でチケットを購入します。
縄文のムラ、三内丸山遺跡
特別展「三内丸山とヒスイ」が開催されていたので、折角なので常設展と特別・企画展がセットとなった観覧料を払うことにします。(美術館と同時だったので2割引き)
この遺跡の場所は、ねぶたん号(『あおもりシャトルdeルートバス』の総称)などが走り、青森市委託する公共交通のバス停が施設前にあり便利です。
往々にして広域で世界遺産の指定されている場所は、公共の交通機関で行けないところや、そもそもないものが多い印象があります。駅から遠かったり、マイカー(レンタカー)やタクシーを使って行くのが普通というサービスが一般的です。
しかし、青森駅などをみると、このコロナ解禁したばかりでも、外国人観光客が東北地域に来ているのがわかります。このように、交通の便がいいとインバンドの海外の観光客が立ち寄りやすく、ミュージアムショップなどでも、外国語が所々で聞こえています。
外国旅行客は、今やInstagramやSNSというソーシャルアプリで繋がって旅をしています。名所。旧跡などへの公共の交通機関がないか、不便さがその街の滞在をスポイルしているように思えます。
大型掘立柱(ほったてばしら)建物
屋外へ続くトンネルです。タイムマシンで時空を過去に移動した雰囲気です。
ここでは復元ですが、「大型掘立柱(ほったてばしら)建物」と「大型竪穴(たてあな)建物」が目を引きます。
この掘立柱建物を見て思い出すのは、東南アジアのベトナムとかカンボジアなどの郊外で暮らす高床式の家の暮らしを想像します。日本では、もっと印象深い記憶として平安時代の巨大神殿「古代出雲大社高層神殿」の復元模型を彷彿させてくれます。
古代出雲歴史博物館は、当時(2011年5月)館内展示物の撮影が禁止となっていたはず。そのためパンフレットに記載されている1/10の再現模型の記憶を頼りですが、その展示物は壮大なスケール感がありました。
実際の境内(出雲大社)で巨木があった場所を遺構として残してある石畳があります。
古代出雲大社高層神殿の復元を大林組プロジェクトチームが行っています。
また出雲の風土記に関しては、「島根県古代文化センター」の出版物が読みやすいです。
話をもどします。
ここ三内丸山遺跡は、6本の柱穴が「大型掘立柱建物」保管されています。
掘立柱の技術が、出雲大社が平安時代とここ縄文時代との年代の隔たりこそありますが、似たような設計がなされていることに驚くばかりです。
南盛土
1,000年間の長い歴史で堆積した生活の中で出た廃棄場所とも言われているが、平行に層が形成されていることと、土偶やヒスイなどもあり、祭事に使われていた跡とも言われている。
風雪や雨を防ぐためのカマボコ状に覆った建物は、まだ春の涼しい時期で気温も上がりませんが、夏の陽射しが強い日などは、室温と湿気とがあり空調が心配です。
大型竪穴建物と掘立柱建物(倉庫)
竪穴建物は、内部に階段が作られて1m以上ほど掘り下げられた大きな空間を確保しています。地下を使うので温かい生活の場を作っていたのかなと思います。
出入り口によっては、スロープ式(見学用バリアフリー)で掘り下げられた空間のアクセスも容易になっています。(その構造が従来からあったとすれば、荷物の搬入経路としてならすぐれた技術だったように思うが・・・)
また、建造物の特徴として掘立柱に共通する太い柱組によって構造物となっていて当時の家を作る技術がすでに確立されていたかのように重厚です。
世界遺産登録から一周年とのことですが、冬は雪が積もり復元した建造物の維持管理も大変だと思います。日本は木造の建築の文化なので尚のことです。
三丸丸山遺跡センターでは、現在(2023年4月15日~7月2日まで)特別展として「三内丸山とヒスイ」を開催していました。縄文時代の最北の翡翠(ヒスイ)は、弘前や八戸、県をまたいで新潟まで人が交流して行きます。
先ほどの出雲もまた、勾玉(まがたま)の文化がありその素材として翡翠が使われていました。古代のから装身具として日本では歴史があるという事がわかります。特に多くは現在の新潟県、越の国から産出され出雲大社の神話にも登場しています。
青森美術館と特別史跡 三内丸山遺跡を見てまわるなら、交通の便がいい立地での宿泊が便利です。
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三内丸山遺跡の通称「縄文タワー」をどのように建てたのかのプロセスを推察しています。